扶桑会について
指導者: 石塚嘉 【達人・名人・秘伝の師範たち】
稽古日時:日曜14時半~16時半 / 木曜19時~21時
稽古場所:神道扶桑教 世田谷太祠 東京都世田谷区松原1丁目7−20 【道場紹介】
入会希望者が参加可能な公開稽古は 6月25日(日)12時30分から14時30分まで開催します。
場所は 世田谷区総合運動場 体育館 第一武道場です。
扶桑会への入会を希望される方は 左のメールフォームよりお問い合わせください。
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稽古日時:日曜14時半~16時半 / 木曜19時~21時
稽古場所:神道扶桑教 世田谷太祠 東京都世田谷区松原1丁目7−20 【道場紹介】
入会希望者が参加可能な公開稽古は 6月25日(日)12時30分から14時30分まで開催します。
場所は 世田谷区総合運動場 体育館 第一武道場です。
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稽古日誌 令和5年5月25日、28日、6月1日 大東流合気柔術 扶桑会 
大東流合気柔術 扶桑会の稽古日誌。今回は5月下旬から6月初旬にかけての内容です。
5月25日(木)の稽古では、初伝一カ条立合の形を中心に修練。

何度も繰り返し鍛錬してきた動きですが、練度が上がるほど自分の頭に思い描くイメージと実際に操作する体の動きとの間にギャップが生まれてきます。
そこにもどかしさを感じてしまいますが、一方ではそれだけ武術の思考法が身についているということでもあります。

最近稽古の中で私が会員の皆さんに繰り返し伝えている言葉があります。
それは、「『難しいことが有る』ということは『有難い』こと」。
頭で理解はしてもなかなか実行できないことを克服しようと努力する、それこそが感謝すべき成長の機会だ、という意味です。

古武術の修練を通じて、そうした成長の機会に日々向き合えているのは、本当にありがたいことです。

5月28日(日)は、3人の昇級審査を行いました。
5級審査は一本捕、逆腕捕をそれぞれ左右、居捕と立合で行います。
扶桑会では昇級を目指す人が最初に挑戦するのがこの5級です。
全部で8本の演武ですが、衆目のなか古武術の所作に則って技を披露するのは、相当の緊張感です。
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続いて3級審査。こちらは初伝一カ条の居捕・立合をすべて行う、計21本。
4級から一挙に形の数も増え、難易度も上がります。
初段(黒帯)にたどり着くまでの、大きな関門と言えます。

積み上げた修練の成果を見せて、無事に全員が認定を受けました。
3人とも大東流を始めたばかりの頃に比べると、見違えるほどの成長が示されました。
会全体にとっても、良い刺激になったことと思います。

技術向上と、古武術的な思考法の理解を車の両輪として、扶桑会は活動しています。
昇級審査はその一つの指標です。

昇級昇段を目指しながら、審査に取り組む過程で自分自身の稽古への取り組み方を再発見していく効用もあります。

たゆまずに毎回の稽古を積み重ねていくこと。
継続こそが、力です。

最後は6月1日(木)、世田谷総合運動公園 体育館での稽古。

この日は同じ攻撃に対して、一カ条、二カ条それぞれの考え方で対応していく形で修練しました。

中心を攻める、間合いを空けるといった初動の違いはありますが、相手と結んだ接点を小手先の力ではなく身体全体の連動で操作していくところは共通です。

見慣れない動きや手首関節の取り方に戸惑いもありながら、新鮮な気持ちで新しい形に取り組みます。

出来る、出来ないにあまりこだわり過ぎることなく、大東流合気柔術の本質探求を楽しむような稽古を目指していこうと考えています。

其の四百三十七 腰で絡める 大東流合気柔術 扶桑会 
3月の本稽古では、「掴まれたところをそのまま維持する」技法を取り上げた。
つまり相手に「攻撃できている」と感じさせた状態で力を伝えていく思考法である。
今回はその最後となる操作法となる。
動きに名前を付けるならば「両手取り三カ条小手詰」とでもなろうか。

私たち扶桑会が取り組む大東流合氣柔術は、大東流中興の祖、武田惣角先生および植芝守高(盛平)先生が久琢磨師に与えた、柔術技法を基盤にした技術の体系である。
大阪琢磨会には「総伝」として数百もの技が伝わっている。
一般に後年、武田時宗師によって編纂された「初伝技」には明確な技の名前が付けられているが、「総伝」はそうした呼称はなく、所収の巻数と条文の順序だけが記されている素っ気ないものだ。
技にわかり易い名前を冠すれば表面的な理解には役立つが、その奥に含まれている本質が隠されてしまうこともある。
技を覚えて理合に到らず、ということになりかねないのだ。
その意味で、ある種無味乾燥な「総伝」の呼称にも合理性がある。

さて、長々と前置きを書いてしまったが本題の「両手取り三カ条小手詰」である。
この動きの本質とは何かというと、腕の力を使わずに相手の身体を極め上げていくところにある。
決して「三カ条に小手を詰める」ことではなく、掴まれた瞬間、その初動の中にもっとも重要な理合が含まれる。
すなわち、「腰で絡める」ことだ。

相手に手首をつかまれたとき、手刀を開いて親指を張る。
手刀の峰を相手の掌底の小指側にからみつけるようにして、縦に斬り上げる。
この時、腰を外から内に旋回させることで、相手に全身の力を伝えるところに極意がある。
この動きが効果的に使えるようになると、相手は抗いようのない大きな力を感じ、こちらの手刀にからめとられるように無力化されてしまう。
これが「腰を絡める」操作である。

「掴ませたまま」「絡めつける」といった概念は、いわゆる「合気」に通じるものだと、私自身は考えている。
「合気」については今後積極的に考察を行っていきたい。
稽古日誌 令和5年5月20~21日合宿 大東流合氣柔術 扶桑会 
風薫る5月半ばの20日から一泊二日で、扶桑会恒例の合宿を行いました。

お世話になったのは、毎年訪れている千葉内房の民宿「三富荘」さん。
広い道場が併設された、海辺の宿です。

昼過ぎから始めた稽古では、久琢磨先生が昭和初期に発行された書籍「惟神之武道」をもとに、総伝技の研究を行いました。

総伝技とは、武田惣角先生が大阪朝日新聞社の道場で久琢磨たち門人に伝授した技です。
一つの技につき2~3枚の写真で記録し、それに短い文章での解説が付記されています。

この数葉の写真と、短い文章から技を解読していきます。
写真は技の一部分を切り取ったものにすぎないので、連続する流れを推測していかなければなりません。
普段稽古している大東流合氣柔術の思考法を使って、空白になっている技の過程を埋めていきます。

こうした稽古では、受身の姿勢であってはいけません。
それぞれのレベルの中で、自らが武術的素養を総動員して、技の本質をつかみ取っていきます。
仮に惣角先生の伝えた技と全く同じでなかったとしても、こうした探求は古武術大東流の多面的な理解に必ず役立ちます。

夕刻までみっちりと、刺激的な稽古ができました。

稽古のあとは、民宿の庭先でのバーベキューです。
昨年の合宿は台風のなかでの開催だったので、二年ぶりです。

民宿の裏の畑でとれた野菜や、地元の海鮮食材などをつかった、ボリュームのある内容でした。

こちらは三富荘さんからのサービスです。
金目鯛の姿造りとはなんと豪勢な!鯵のたたきも美味でした。

にもかかわらず、みんな相当空腹だったらしく、一時間もたたないうちに完食。
まだ外は明るい…。
この後は夜半まで、ゆっくりと親睦を深めました。

一夜明けて、空は快晴。朝食後に浜へ散策に出かけました。

歩いて5分ほどのところに岩井海岸という広い砂浜があります。

5月の気温は暑すぎず、浜辺でくつろぐには最高の天気でした。

どこから出てきたのか、フリスビーを使って全員でドッジボール大会。
皆、元気です…

稽古に遊びに、充実した2日間でした。
来年もお楽しみに。

其の四百三十六 からみつく 大東流合気柔術 扶桑会 
「柔術とは、からみつく術(わざ)なり」という口伝があるが、今回取り上げた動きはまさにその口伝通りの思考法を使っている。

袖をつかんで攻撃してきた相手に対して、その肘を曲げるように手刀を突き込み、腰を崩した上で倒してしまうというのが操作の概要である。
単純に言えばそういうことなのではあるが、もちろん実際にやってみると、なかなか相手は思う通り素直に崩れてはくれない。
やはりここで、「からみつく」思考法を援用しなければならない。
動画の中でも説明している通り、相手が掴んできたその瞬間に、接点を大きく動かしてしまうと、この「からみつく」動きの効果が薄くなる。
相手に掴まれたその部分を出来るだけ動かさない。動画では「空間の座標軸を変えない」というような表現をしてみたが、掴んだ側の感覚が極力変わらないように、つまり「掴ませたまま」の状態にしておく必要がある。

そのうえで、相手の腕に沿うように手刀の峰側、いわゆる橈骨の部分を使って相手の肘の内側に密着していく。
この時に力をぶつけることのないように、腕の操作と同時に身体を捌いて、相手の攻撃線の外側に立たなければならない。
以上述べた動きによって、「からみつく」ことが出来れば、相手を崩すという目的はほぼ達成されている。

受け手側の感覚を説明すると、自分が攻撃をしていたつもりなのに、何の抵抗もされないうちに腕にピタリとくっつかれたうえ、相手の身体は自分の死角に立っている、という状況だ。
さらに、力いっぱい掴んでいる自分の手首は、外側に折り曲げられている。その一連の動きには無理強いされた感覚がないので、手を離そうと思う間もなく、指が掴んだ相手の胴着の袖にからめとられている。

柔術、つまり「やわら」として派生し、発展してきた大東流合気柔術の動きのなかでも特徴的なのが、この「からみつく」考え方である。
動画とテキストでその核心の一端にでも触れていただければ幸いである。
其の四百三十五 柔らかく開く 大東流合気柔術 扶桑会 
「柔らかく」という言葉は、この大東流合氣柔術において、とかく誤解を受けがちだ。
ふにゃふにゃと、いわゆる「柔弱」であるのとは異なる柔らかさであり、むしろ圧倒的な質量を感じさせるものが、この「柔らかい」概念の中には存在する。

この動画では、少しでもその理解に役立ててもらえたらという意味を込めて「開く」という言葉を連接して動きを紹介してみた。
一義的には「手(手のひら)を開く」ということではあるが、手だけを開くのではなく、同時に「全身を開く」のである。
最初は感覚がつかみにくいとは思うが、手のひらを開く場合に、そこから遠い足先、頭の先を開くような意識を持ってみてほしい。
エネルギーが充満して、身体の外に溢れ出していくようなイメージと表現するとわかり易いだろうか。

この「開く」操作がうまくいくと、受け手は掴んでいる手首を離すことが出来なくなる。
手のひらに密着した手刀の部分が、思いがけない大きな力で動き出し、それに受け手は追随していかざるを得ないような感覚に陥ってしまう。

冒頭述べたように、それは相当に「大きく強い力」として感知される。
それは受け手が握っている接点を通じて、捕り手の身体全体の力が減衰することなく流入してくるからである。
この時に捕り手が少しでも身体を固くし、肩から先の筋肉の力で動かしてしまうと、この魔法は解けてしまう。

現時点で私が感得している「合気」という概念は、おおむね上記のような表現で説明しているところである。
稽古日誌 令和5年5月14日本稽古、18日 大東流合氣柔術扶桑会 
大東流合気柔術 扶桑会の稽古日誌。今回は五月中旬の稽古について書きます。
5月14日(日)は5月の本稽古でした。

扶桑会の本稽古では、毎回大東流合気柔術の核心思考法を「要素」として取り上げ、修練しています。
5月のテーマは「間を空ける」、「正しい姿勢(自然体)」の2本立てでした。

「間を空ける」とは、相手との間に空間を作り出すこと。それを利用して相手の体勢の崩れを誘います。
さらには空間だけではなく、動く際の呼吸をずらして相手の攻撃を無効にする動き方にも言及。
これは時間的な「間」の操作法と言えます。

「正しい姿勢」は、普段から何度も取り上げている要素です。
いまさら言われるまでもないというところかもしれませんが、なかなか身体に練り込むまでには至りません。

稽古が進むにつれて「間を空ける」動きを効果的に使うためには「正しい姿勢」が不可欠ということに、皆がだんだんと気づき始めました。

稽古後の感想でもそんな言葉が多く聞けたのが、今回の収穫でした。
要素はそれぞれ個別に理解して事足れりとするのでは、機能しません。
古武術は「全体性」の思考法です。すべてを連関させて捉えていくことが、重要です。

5月18日(木)は、扶桑教太祠 本殿での稽古。

2カ条の形を取り上げて修練しました。
前回の本稽古で学んだ「間を空ける」動きが効果的に使われるのが、2カ条の技法群です。

現在主に修練している1カ条の動きより、さらに柔らかい動きが求められます。
腕の力、手首の力、部分的な操作に頼ってはなかなか技をかけることができません。

身体全体の連動を使って、無理なく相手を崩していく。
少しずつで良いので、自分の感覚を広げていきましょう!

其の四百三十四 引っかける 大東流合気柔術 扶桑会 
力の伝達ということについて、我々現代人はある常識に囚われてしまっているかもしれないという話をしてみたい。

西洋科学文明が世界を席巻してから、機械動力による恩恵はすさまじく、人間は「機械が発する力」について一種の信仰のような念を抱くようになっている。
いうまでもなく機械が発する力は数値化が可能である。
数値化ができるということになれば、その最大値を上げていくところに価値を見出していくのが人情というものだ。
開発が進み、新型の、より強力な機械が出現すれば、旧型で力の弱い存在は顧みられなくなる。
「数値化できる強弱の明確な力」に慣れた人間は、対人関係においても、そうした論理で物事を理解しようとする。
それが競争社会であり、経済効率を優先する合理的な行動規範を持った思考法だ。

いま、人はそんな世界の成り立ちに疲れ始めている、というのが私の見方である。
そういう時代だからこそ、古武術という考え方の出番がありうるのではないかと感じている。

今回の操作は、相手に対して「抗わない力」を使って行う。
「相手に寄り添う力」と言い換えてもいい。
現在の科学では、そうした技術は未だ完成していない。
相手の思考や全体性を感知し、さらに自分の全体性や、自分の存在する環境そのものを味方につけていく力の使い方を、機械動力が実現する日が来るのかどうか、私にはわからない。
ただ、「数値化できる強い力」で、他者に勝り圧倒する、という短絡的な価値観を超える、新しい常識を獲得するべき時が来ているはずだ。
動画の中で触れている、「最小の接触面で力を伝えていく」技法は、その一つの解法と言える。

少なくとも今この時に、人でしか感じられないセンサーを磨いていくのが、古武術を志す我々の役割ではないだろうか。
稽古日誌 令和5年5月3日 7日 11日 大東流合気柔術 扶桑会 
大東流合氣柔術 扶桑会の稽古日誌です。5月上旬の稽古内容を記録します。
まずは大型連休の中日にあたる5月3日(水・祝)の稽古から。

通常木曜夜、日曜昼の稽古を行っている扶桑会ですが、祝日などの機会に応じて曜日や時間の変更をすることがあります。
平日の夜にはなかなか参加できないという会員さんも、休日の昼間であれば何とか都合をつけて稽古できます。

もちろん本殿をお借りしている神道扶桑教さんのご理解があってのことですが、昼間の稽古は清々しくて良いものです。
個人的には何より、稽古後にゆっくりとビールを飲んでくつろげることが最大のメリットですね。

稽古の方は「手刀の使い方」を中心に研究。
開く、伸ばす、立てる…様々な操作を取り入れた動きに取り組みました。

続いては5月7日(日)の稽古。
「ぶつからない動き」を、さまざまな操作法を通じて研究しました。

といっても、単純に相手との衝突を避けるだけではありません。
対峙した相手との間には、必ず滑らかに進んでいくことのできる方向があり、力の出し方が存在します。
武術である以上当然のことですが、何らかの形で自分の意図を相手に伝え、それを完遂させることを目標にします。

その時、力ずくで無理押しに攻めるか。
あらゆる手立てを尽くして、スムーズに通ることができる我が行く道筋を探ることができるか。
言うなれば、それは心の余裕や、日常の気構えのようなものがかかわってくる領域なのかもしれません。

この日、先日昇段認定を受けた会員さんに允許状と黒帯の授与を行いました。おめでとうございます。
これからも扶桑会全体の技術向上に尽力していきたいと思っています。

最後は5月11日(木)の稽古。この日も神道扶桑教の世田谷太祠にて修練させていただきました。

以前武術の他団体の方から質問を受けたことがありましたが、扶桑教さんは全くのご厚意で私たちに稽古場所を提供してくださっています。いつも恐縮するのですが、使わせていただくのに対価をお支払いしていません。
通常は神事や祭祀に使われている神聖な神殿を、我々の会の趣旨に賛同いただいて、(今風に言えば)シェアしてくださっています。

元来縄文から続く日本文化というものは、強欲をもって所有したり、独占するのではなく、お互いの思いを尊重して共有する、シェアしていく文化だったと伝わっています。
世界でも最古と言われる定住生活を営んでいた一万数千年の間、戦争の跡が全く見られなかった縄文の日本の血脈を、神道や日本古武術は受け継いでいると、私は考えています。

ご神慮に感謝しつつ、古武術を修行する私たちが、今の日本に伝えていけることを真摯に考えていきたいものです。

其の四百三十三 一体化する 大東流合氣柔術扶桑会 
今回の動画のメインタイトルを「一体化する」としたが、これには二つの意味を持たせている。
いわば「掛け言葉」である。

前回「其の四百三十二 持たせておく」で解説したように、相手に掴まれた手首を振りほどくのでもなく、またぶつけていくのでもなく、ただ相手が掴んできたその感覚を出来るだけ変えないように、すなわち「持たせたまま」にしておくことで相手を無力化する技法がある。
これもその一つであって、相手の身体に掴ませたままの手を触れていくことで体勢を崩してしまう。
動画では腰と膝のあたりに高低差をつけて接触し、丁度自縄自縛に陥ってしまうような形にしていることがわかるだろう。
この操作では、相手に手を触れる際に肩から先の操作で動かしていこうとすると、うまくいかない。
それは腕の筋力に負うところの大きい運動であり、そうした力は出所が悟られやすく、容易に反応されてしまうのだ。
それではどうするか。
ここで、一つ目の意味である「自分の身体を一体化する」操作法が必要となる。

接触点である手首を、身体全体の連動によって操作していく。
このことで相手は力の出所を感知できない。予想外の力が押し寄せてくるような感じを受けて、思わず知らず自分の身体に貼り付けられるといったような感覚を覚えるのである。

さらにもう一つ、これは先ほどと比べると相当に難易度が上がるが「相手の身体と一体化する」操作を行う。
掴まれた手を「持たせたままにする」よりもさらに高度な身体感覚を必要とする動きであり、相手の身体を意図的に動かしていくというよりは、「相手の身体についていく」というべきか。

これについては、私自身も研究を重ねているところである。今動画を見直してみても、その域には到底達していない。
頂は未だ遥か高みにあるが、一歩一歩たゆまず進んでいくつもりである。
稽古日誌 4月23日 29日本稽古 30日二部稽古 大東流合気柔術扶桑会 
大東流合氣柔術扶桑会の稽古日誌、今回は4月下旬の稽古の様子を記します。
まずは4月23日(日)の稽古。

この日は扶桑会にとっての重要イベント、昇段・昇級審査を開催しました。

競技(優劣をつける試合形式の結果発表)のない古武術において、審査という形をとって演武を行うことは、現時点での修行の到達地点を自他共に確認する大切な節目であると私は捉えています。

他者と競い合うことなく、己の最大限の力を発揮することに焦点を置き、努力することによって得られる成果を真摯に求めること。
今の時代に、試合形式を規定してこなかった古武術の思想性が、独自な価値を示しているように思えてなりません。

唯ひたすらに、己の向上のみを目指して進むことには、競争に勝る以上の謙虚さと自己研鑽が要求されます。

今回の審査会に参加した会員の皆さんもまた、そうした思いを新たにされたのではないかと感じています。

続いては4月29日(土)の本稽古。
5月の大型連休の初日にあたる、この日の主題は「手刀の使い方」でした。

これまでに幾度も取り上げてきた技法ですが、今回は特に「摺り上げ」、「縦に使う」、「掴ませたままにする」という具体的な要素について研究しました。

いつもより長く、4時間にわたっての修練でしたが、工夫を凝らした操作法に笑いの絶えない稽古となりました。

難しい思考法や思うままにならない操作法は「楽しくやる」というのが扶桑会のポリシーです。

本稽古の翌日、4月30日(日)は3時間×2回の二部稽古でした。

正面打ちへの対処法を一カ条から四カ条まで多彩に修練。

それぞれの動きの本質をとらえるための稽古です。
一本捕、小手詰、脇詰、内小手。

単に相手との接点における形の違いだけでなく、全身の動き、思考法に至る対応の違いを系統立てて学びました。

ここまで三時間。この日はこの後もう一回3時間の稽古が待ち受けています。

軽く軽食をとった後、後半稽古の始まり。

前半の内容を踏まえつつ、後半はそれぞれが自分の習熟度に応じて技を選び、最後に演武を披露するという形式をとりました。

「自分の最大を発揮する」という目標を明確化したことで、緊張感の中にも伸びやかな動きが展開されます。

心地よい疲労感と達成感で、6時間の長丁場を終えることができました。
この成果を踏まえて、演武形式の稽古をこれからも折に触れて継続していきたいと思っています。
