扶桑会について
指導者: 石塚嘉 【達人・名人・秘伝の師範たち】
稽古日時:日曜14時半~16時半 / 木曜19時~21時
稽古場所:神道扶桑教 世田谷太祠 東京都世田谷区松原1丁目7−20 【道場紹介】
入会希望者が参加可能な公開稽古は 10月22日(日)14時30分から16時30分まで開催します。
場所は 明大前 扶桑会館(神道扶桑教太祠 本殿) です。
扶桑会への入会を希望される方は 左のメールフォームよりお問い合わせください。
【関連商品】
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【Twitter】https://twitter.com/aiki_fusoukai
【Instagram】https://www.instagram.com/aiki_kobujutsu/
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稽古日誌 令和5年9月21日 24日 28日 大東流合氣柔術扶桑会 
大東流合氣柔術 扶桑会の稽古日誌です。
今回は9月下旬の稽古内容について記していきます。
まずは9月21日(木)から。この日は世田谷区の総合運動公園体育館での修練となりました。

常設の稽古場である世田谷区松原の神道扶桑教太祠ですが、毎年春と秋のお彼岸に報元大祭(ほうげんたいさい)が催行される関係で、私たちが稽古に使うことは出来ません。
そこで公共の施設などを探すのですが、感染症の騒ぎが収まってから、どの施設もなかなか盛況のようです。

日本人の余暇活動が盛んになってきたことは喜ばしいことです。
またそうした施設に行くたびに子供たちのマスクをつけない明るい顔が見られるようになってきたのも、本当に良かったと感じられます。

稽古の方は「部分にとらわれず、全体を意識する」をテーマに。
少人数ですが熱のこもった修練になりました。
過ごしやすい秋に向けて、健康増進と一層の技術向上を目指していきます。

続いては9月24日(日)。
ラグビーのワールドカップがフランスで開催されているから、という理由でもないのですが、この日は相手に腰を押されるのを、体勢を低くして止める動きで始めました。

ただ単に腰の位置を低くするだけではなく、膝と踝を緩めて接触したその瞬間に相手の重心を乗せてしまいます。
この鍛錬、慣れないうちはかなりツラいです。
どうしても脚の筋肉で押し返そうという意識が働いてしまうんですね。

私も学生時代ラグビーを長くやっていたこともあり、この押し合いへし合いには心がたぎるものがあるのですが、やはり物理的な筋力で対抗するのは、古武術的な思考法からはおすすめ出来ません。

全身を柔らかくして一つの塊であると認識する。
そのうえで相手の力を受け入れるようにして、地面にその力を通す意識を持ってください。
ラグビー日本代表のスクラムは、前々回のワールドカップ辺りから飛躍的に技術が向上して、強豪国相手にも見劣りしない力強さを備えるようになりました。
私たち古武術の理合と全く一緒ではないのでしょうが、私が感じるところ、ただ筋力で対抗するのではない「柔らかい一体化」がその強さの核心にあるように思えるのです。

そして9月28日(木)の稽古。
この日は熱心に稽古してきた会員さんが遠方に転居するために、一緒に稽古できる最後の日となりました。

転居されても扶桑会の会員として、何かの折に上京されたときには道場に来られるということではありますが、長く稽古を共にしてきたものとして、やはり一抹の寂しさがよぎります。

人生には常に確かなものはなく、行き交う時間の流れは去る人と来る人を不意に選んでは私たちに差し出してきます。
一期一会という言葉を胸に抱いて日々生きること。
その覚悟がなくては、今という時を十全に味わい尽くせません。
ああしておけば良かった、こうも出来たはずなのにということを、「今」思っても詮無いことなのです。

武術においてもまた然り。
相手とまみえるこの瞬間は決して再び同じ形で訪れることはありません。
同じ攻撃は二度となく、その一回の攻撃に自分の生命と全存在をかける。
武術者として、そんな気持ちをもって修行に向き合いたいものです。

其の四百五十四 真中に置く 大東流合氣柔術扶桑会 
今回も掴まれたところを起点にして相手に大きな力を伝えていくということについて解説していく。
最初は片手で掴まれたときの対処から。

大きな力を伝えるためには、こちらが大きな入力をしなければならないという思考は、こと大東流に限っては適用されない。
仮につかまれたところを力を込めて引っ張ってみるといい。相手はより強い力で握り返して来るだけだ。
その理由は引っ張ることによって、相手との接点にぶつかりが生じるからだ。
引っ張っているのにぶつかるとは不思議に聞こえるかもしれないが、近づいてこようが遠ざかろうが、己の把持しているところが意思に反して動いたとき、人はその部分に固執し、抵抗するものである。

今回片手での操作において特筆すべきは、掴まれた部分を空間上に固定しておくような意識で、むしろその空間上の一点を自分の真ん中に置きつづけるようなつもりで、体幹部を動かしていく技法を使っていることだ。
こうすることで、相手は抵抗する意図を持てないままに、体勢を崩されてしまう。
このあたりの呼吸は、文章で説明するのは相当にむずかしい。
実際に生身の人間と相対してみて、そこから掴んでいってもらいたい。

そこで初心者については片手は少し難易度が高いので、まずは両手取りから始めることをお勧めする。
その際にも脱力が最も大切だ。
腕で押し返さず、手刀を活かして相手を自分の重心に乗せるような意識で修練してほしい。

そのあとは構えた両方の手刀を、自分の身体の真ん中に置いたまま、180度体を転換させる。
大きく派手に投げることを考えず、相手に力が伝わっているかどうかに焦点を絞って、丁寧な動きを心がけることで、徐々にコツがつかめてくるはずだ。
稽古日誌 令和5年9月10日 14日 18日本稽古 大東流合気柔術扶桑会 
大東流合氣柔術 扶桑会の稽古日誌。今回は9月中旬の稽古について記録していきます。
まずは9月10日(日)。基本の形を、流れを止めずに「一筆書き」のような気持ちで動いてみるところから始めました。

私たち扶桑会はどちらかと言えば柔術をベースにした術理をもっています。
それは、私が久琢磨の大東流の流れを汲む琢磨会で修行していたことが大きいのですが、一つ一つの動きをしっかりと、相手の身体を詰めて崩していくところに技の特徴があります。

勢いで動かしてしまうと、表面的には見栄えがいいのですが、本当に効かせて崩していることにはなりません。
初心者ほど一点一画をゆるがせにしない「楷書」的な技術が求められます。

そんな中で、いつもとは違う「流れを重視する」操作に戸惑う部分もあったかもしれません。
一方で、いつものやり方の重要性も再確認できた部分もあったはずです。

ところでこの日は稽古中に海外向け日本文化発信のテレビ番組の取材の方が来られました。
そんな中でも、いつも通りのスタイルを崩さずに最後まで稽古。
いつも心掛けている平常心です。

続いては9月14日(木)の稽古。
稽古中のよくあるエピソードとして「さっきまで出来ていたのに、人が変わると全然(技が)通じない」というのがあります。
微妙な感覚が要求される動きほど、こうした「ギャップ」が生まれやすいものです。

熱心に稽古している人ほど、積み上げた石が無造作に崩されたような感じがして、やる気を失ってしまうことも多々あります。
そういう時に試されるのが、変化した状況に「適応しよう」という強い思いだと思います。

例としては突飛に過ぎますが、かつて地上で生活していたイルカやクジラの祖先は「海に戻りたい」と切実に思い、気が遠くなるような世代交代の間にもその思いを持ち続け、自分の足を尾びれに変化させ、心肺機能を水中生活に適応するように作り変えました。
生き物とは、このように強い「心の力」をもっています。強く思えば、現実を変えていくことが出来るのです。

人間もまた、生き物として、この計り知れない力を有している存在なのだということを忘れないようにしたいものです。

9月18日(月・祝)は9月の本稽古でした。
今回のテーマは「結び」。

これは今年の重点目標にも掲げている大東流の考え方です。

相手と接触した瞬間に「つながり」を作ること。
それにはまず攻撃を「受け入れる」ことが必要です。

力で跳ね返してしまうと、決して「つながり」は生まれません。
害意をもって攻撃してくる相手を受け入れるということは、言葉でいうほど簡単なことではありません。
また、単なる身体操作の訓練だけで実現できるものでもないと思います。

むしろ精神的な在り方が問われる思考法です。
これからの稽古でも、常に意識していきたいと考えています。

其の四百五十三 抜く 大東流合氣柔術扶桑会 
我々が公開しているYouTube動画に対する質問の中に「相手が本気で掴んできたら技はかかりますか?」というものがよくある。
おそらく質問者は「これは相手が忖度して(手加減して)攻撃しているから(技が)かかっているのだろう」という感覚を抱いているのだと思うが、結論から言うと「力を込めて掴まれた方が(技は)良くかかる」。

大東流合氣柔術の中でも重要な思考の体系として「脱力」という要素があるが、今回の動画はまさにそれをよく体現している。
両手で腕をつかまれるというのは一見すると掴まれた方が不利のようだが、掴まれたその一点を操作することで全身を崩せるため、「脱力」の効果が測りやすい。
ただし、動画内でも説明しているように単純に「力をなくしてしまう」ような脱力では相手は動かない。
丁寧に言うならば「脱力」することよって「全身一体の動きを作り出す」ことが必要になってくる。
これは前回までの説明と似通ってくるために、「またか」と思われる方も多いかもしれない。

そこで、この解説を読んでくれている方のために、動画では触れていないコツをお伝えする。
それは「まず、ぶつかる」ということだ。

攻撃に対して、こちらは腕の筋力をもってして対抗するのだ。
ほんの一瞬、身を硬くして相手をはじき返すようにしてみよう。
相手はその反応に対して、さらに入力を強めようとする、その際を狙って全身脱力する。

力の差があるほど、この理合は有効である。
日々の稽古の中で試してみていただきたい。
其の四百五十二 完全脱力 大東流合氣柔術扶桑会 
何故こうなるのだろうと、不思議に思うこと。そしてその正体を見極める探求をし続けること。
私たちがなにか未知の技術を理解し、上達させていくためには、まずはそのような探求心が必要だろう。

今回の動きも、接点を脱力すると言うベースのところは同じである。
だが、表面的に大きく投げ飛ばすような派手な動きがある分、それに目くらましを受けてしまう人も多いかもしれない。
発生する動きの大きさは、こちらからの入力の大きさとは比例しない。
これは、相手に対して強い力を与えることで投げ飛ばしているのではないという意味だ。

その代わりに、相手が掴みかかってくる力をただ受け止め、それに逆らわないように自分の身体を動かしている。
「腕をフニャフニャにせよ」というのは、そのことだ。
言葉を変えていうならば、相手が掴んできた(攻撃してきた)その「害意」を妨げることなく、むしろ自ら喜んで攻撃させ続けてやる、というような意識を持つことが、この操作の一番肝心なところなのだ。

最初は相手が呼吸を合わせて「飛んで」いるのだろうと決めてかかる人もいるかもしれない。
それはそれで構わない。ただ、その人はこの技術の探求をすることはないだろう。
世の中が仮にそういう人ばかりになってしまったとき、古武術のこの技法は「失伝」する。
それは、古武術に限らず、現在失われかけている貴重な、しかし現代的感覚から見て「胡散臭い」とレッテル貼りされているほかの技術・思考法においても同じことがいえる。

幸い、扶桑会ではささやかながら継承の努力を続けることが出来る。
こころから有難いことだ、というべきだろう。
稽古日誌 令和5年8月31日 9月3日 7日 大東流合氣柔術扶桑会 
大東流合氣柔術 扶桑会の稽古日誌、今回は8月末から9月上旬にかけての修練の内容を記していきます。
まずは8月31日(木)の稽古。
この日は「交叉取り」に対してどう応じていくかというテーマでした。

自分の右手に対して向かい合った相手も同じ右手で掴んできます。
丁度握手をするときを想像してもらえるとわかりやすいかと思いますが、YouTubeに公開している動画などでは実際にこうした形で攻撃をしてくることはないのではないかという批判を受けることが偶にあります。

いわゆる「実戦では古武術的な動きなど役に立たない」という意見ですが、そうしたプラグマティック(実利優先)な思考と古武術とはやはり相性が悪いというのが私の持論です。
例としてふさわしいか分かりませんが、パソコンやスマホで文字を打つことが日常化した現代人にとって、墨と筆を使って字を書く書道など何の役に立つのだ、という論にも似ていて、そこには対話が成立しない状況だと感じています。

全て世の中の技術には、その拠って立つ精神性や、理想とする思考が存在します。
スポーツ格闘技にもそれがあるのでしょう。
そしてまた同じく我々の追及する古武術においても、古来より連綿と受け継がれてきた極意があり、我々修行者はそこに到達することを目指しているのです。

続いては9月3日(日)の稽古。
基本の形も、毎回着眼点を変えて行うことで、初心者も上級者も同じように新鮮な気持ちで取り組めます。

手刀の概念化であれば、普段意識していないポイントについて取り組むだけで、いつもの決まりきった動きとはガラリと変わってきます。
この日は「手首を曲げない」という考え方を抽出しました。

それぞれ社会人として責任を果たすなかで、週に二回の稽古はなかなか厳しいものがあるとは思いますが、各自で着眼点を工夫して毎回の稽古の意義を高めていってもらえればと思います。

何の修行であっても、続けることが重要です。
会員の皆さんの継続意欲を手助けできるように、指導する側も精進を心がけます。

最後は9月7日(木)の稽古。
手刀を「縦」に使う意識の養成から始めました。

親指側を使うのも「縦」の考え方です。

手刀には「刃」と「峰」があり、それぞれ小指側と親指側が相当します。
それらを接点に対して垂直になるように操作していきます。

手刀については状況、形の種類によって千差万別、多様な考え方が可能です。
まずは根本の原理を理解して、その後応用編へと進んで行きましょう。

其の四百五十一 構える 大東流合氣柔術扶桑会 
相手に両手首をとられて押し込まれる。
強い力で圧倒されるかと思いきや、わずかな動きで相手の腰を浮かせて身動きできない状態にしてしまう。

大東流合気柔術の演武でよくみられるこういった動きは「合気」と呼ばれることがある。
いわゆる物理法則を超えた達人の所業というニュアンスが込められた「合気」という言葉だが、今回紹介する動きは、どちらかというと柔術的な物理法則を援用した操作である。
とはいえ、目に見える状況としては「合気」に近い。
相手の体の自由を奪うわけであるから効果としても同等といえるだろう。
単刀直入に言うと、これは「剣の理合」によって全身を使い、相手の体に柔らかい力を伝えている。
動きとしては「刀を構えるように」相手に対峙し、掴まれたところを脱力することで抵抗し難い力を発揮するのだ。

「合気上げ」という操作法は、多くの大東流の形の初動に使われるが、その根本原理がこの動きに込められている。
もちろん、この操作が円熟しより精妙になることによって先に述べた「合気」に近づいていくのであろう。

「掴まれたところを脱力する」というのは、ここまで再三言及してきたように、部分的な出力に陥らず、自分の体全部を使って力を出していくことで実現する。
「剣を構える」ことはまさにその全体を使う動きに通じる。

対人稽古でなかなかコツがつかめないという方は、まず一人稽古で剣を持ってみることをお勧めする。
剣を扱うとき、部分的な筋力は使わないはずだ。
全身を使って剣を振る稽古をするだけでも、合気上げの鍛錬になる。
稽古日誌 令和5年 8月20日 24日 27日本稽古 大東流合気柔術 扶桑会 
大東流合氣柔術 扶桑会の稽古日誌です。
今回は8月下旬の稽古の内容を記録していきます。
まずは8月20日(日)。この日は扶桑会の行事として二段審査を開催しました。

大阪琢磨会から小林清泰先生をお招きし、立会をお願いしたうえでの審査です。
大東流の二カ条は合計30本。
一カ条からは難易度も格段に上がります。

継続した鍛錬の成果を見せて、無事に審査合格。2段認定となりました。
世界中どこの国においても、人間の言語読解能力の平均値は小学校6年生から中学校1年生のレベルだそうです。
それは、日常生活においてそのレベルの読解力があれば一通りのやり取りが支障なくこなせるから。
つまり、「とりあえず出来る」ところまで能力が上がった時、人は「それ以上のレベルに上げていく努力をしなくなる」という、興味深い分析があるのです。

これは武術の世界においても同じことがいえると考えます。
段位を上げて、一通りのことができるようになったとき、さらに切実にその上のレベルを目指す意識を持てるかどうか?
あくなき向上心は、もっと道の奥深くを見てみたいという真摯な思いから発します。

これからも変わることなく、古武術探求の心を持ち続けてもらいたいと思います。

続いては8月24日(木)。

この日は基本に立ち返り、攻撃を受けたときに自分がどういう心構えで対応するかを中心に稽古しました。
掴まれた部分を全身で操作して、三角点に導き崩す動き。

突き出された腕の内または外に体を捌いて、そこから崩しをかけていく動き。
シンプルな動きほど古武術の核心的な考え方が明確に現れます。

最後は8月27日(日)。
この日は8月の本稽古でした。

相手の攻撃を体捌きをもってかわす動きから始めました。
全身を一体化させて動けるかどうか、簡単なようで難易度は高いです。

さらに木刀や短刀を使って負荷を上げていきます。
人間の体の動きに、目で見える脅威の強さが大きく影響することを実感します。
平常心の維持こそが、達人への道なのです。

さらに手刀の使い方を研究したのち、この日は総伝技の研究も行いました。
相手に掴まれたところを、そのまま掴ませておいて、厳しい関節の固めに入ります。
琢磨会に伝わる、昭和のはじめ武田惣角の円熟期の技です。

基本から「幻の技」総伝まで。
これからも扶桑会では、奥行深く大東流合気柔術の探求に取り組んでいきます。

其の四百五十 手の甲 大東流合気柔術 扶桑会 
接点の脱力で相手に力を伝える考え方について、さらに別の角度から解説を加えてみる。
それは、「密着することで感覚をかく乱する」という技法である。

相手に強く拘束されたとき、接点である手首(手刀)を脱力する。ただし手刀にはエネルギーを通したままにしておき、いわゆる「手刀を活かした」状態である。
今回のキモとなるのは、この時に掴んでいる相手の掌(てのひら)に自分の手の甲を柔らかく密着させていくことだ。
密着させるという言葉で、自分から手の甲を押し付けていくようにとらえてしまう人も多いだろう。
実際に稽古の中でもそうした誤解に基づいて操作して、うまくいかない場合が散見された。

大事なことは、相手の掴んでくる動きに「沿う」ようにして密着することである。
こちらから動いてくっつけていくのではなく、あくまで相手の動きに合致するような意識で動かしてみる。
そのために、相手の動きをよく感じ取り、自分の身体を柔軟にして対応することが重要になる。

最初は要領がつかみにくいかもしれないが、小手先の動きで合わせていくのではなく、全身を使って相手の掌に密着させるような気持ちでやってみると、突破口が開けるはずだ。
これがうまくいくと、相手は自分の力のやりどころがわからなくなってしまう。
その混乱に乗じて崩しをかけていくのだ。

接点である手首や手の甲の部分に視線が行きがちかもしれないが、そこから離れた全身にこそ、技を成立させる秘訣が含まれている。
そうした逆転の発想が有効であるところも、大東流合氣柔術の魅力といえるだろう。
其の四百四十九 合谷を使う 大東流合気柔術 扶桑会 
今回も接点に力を入れず、柔らかく操作することで力を発揮する大東流合氣柔術の技法を紹介したい。

前回(其の四百四十八 親指で乗る)と同じく、肩から先の筋力を使ってしまうと機能しなくなる身体操作である。
両手首をつかまれたところ、今回は自分の両方の手刀を刀を持つように合わせ、中心に構えるようにして沈む。
筋肉の力をもって押したり、引いたりすると相手は敏感にそれを察知して対処行動をとってしまう。
ただただ素直に手を合わせ、自由落下するかの如く垂直に重心をかけてみてほしい。

手の親指と人差し指が二股に別れたところを「合谷(ごうこく)」というが、これは刀の柄を握る際に縦一直線に「谷」の部分を合わせるようになることをイメージしてほしい。
これを相手に掴まれた手の上でも再現すると、非常に大きな力を発揮できるのだ。

まさに剣の構えかたを身体操作にも活かしていく代表的な例だが、大東流は「剣の理合に基づく」との言葉通りである。
最初はうまくいかないかもしれないが、姿勢、肩から先の脱力は、実際に刀を握り、振ってみてその身体感覚を確かめてみてほしい。

動画の中で、動き始めの「予備動作」を作らずに沈むようにとの表現があるが、これもまた、刀を使うことを想定してみると腑に落ちるところだろう。
剣を使った鍛錬も有効である。扶桑会では今後もこうした理合の研究を続けていきたい。