扶桑会について
指導者: 石塚嘉 【達人・名人・秘伝の師範たち】
稽古日時:日曜14時半~16時半 / 木曜19時~21時
稽古場所:神道扶桑教 世田谷太祠 東京都世田谷区松原1丁目7−20 【道場紹介】
入会希望者が参加可能な公開稽古は 3月21日(火・祝)14時から17時まで開催します。
場所は 高津スポーツセンター 第二武道場です。
扶桑会への入会を希望される方は 左のメールフォームよりお問い合わせください。
【関連商品】扶桑会DVD「柔(やわら)の力の完成」←Amazonへリンク
稽古日時:日曜14時半~16時半 / 木曜19時~21時
稽古場所:神道扶桑教 世田谷太祠 東京都世田谷区松原1丁目7−20 【道場紹介】
入会希望者が参加可能な公開稽古は 3月21日(火・祝)14時から17時まで開催します。
場所は 高津スポーツセンター 第二武道場です。
扶桑会への入会を希望される方は 左のメールフォームよりお問い合わせください。
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稽古日誌 令和5年3月2日、5日、9日、12日 大東流合気柔術 扶桑会 
大東流合気柔術 扶桑会の稽古日誌。3月前半の稽古内容です。
まずは3月2日(木)、扶桑教太祠本殿での稽古。

しっかり掴まれたところを、相手に違和感を感じさせないようにどう動かしていくか?
言い換えるならば「接点を相手に掴ませたままにさせる」操作の方法を研究しました。

一つの考え方として、掴まれたところを動かすのではなく、出来るだけそこから遠いところを動かす、という修練方法でやってみます。

具体的には秘伝も含まれるためここには書けませんが、最初は戸惑っていた会員も徐々に感覚がつかめてきました。
みんな、もうすぐ達人になります…!?

続いては3月5日(日)の稽古。
前回のテーマを引き継ぐような形で「ぶつからない動き」を研究。

単純に身体操作からのアプローチだけでなく、心理面、思考法の刷新が要求されます。
相手の攻撃を、どう捉えるか?
外界からの刺激に、自分はどういう姿勢で対処していくか?

古武術は日本古来の文化を母体として作り上げられた体系です。
そうした方向からの理解なくしては、大東流が持つ優位性もスポーツ的な競争原理の中に埋もれてしまうと考えています。

修練後は、感謝の気持ちで清掃。
今日も良い稽古をありがとうございました!

3月9日(木)も扶桑教太祠 本殿での稽古。

この日は形の習得を中心に習熟度別に組み分けしての修練でした。
すでに技を知っている先行者が、相対的に後進となる人に教えていくスタイルです。

上級者もまた、習得した形の姿を伝えていくことで、自分の中の理解度を深めていきます。
大袈裟なことではなく、私はこれこそが武術の伝承であると考えています。

達人でなくては古武術の伝承はできないと決めつけるのではなく、ボトムアップしていく「意識の継承」こそがこれからの時代には必要です。

3月12日(日)は世田谷総合運動公園体育館での稽古。
この日は冒頭で3級の昇級審査を行いました。

居捕10本、立合11本の演武を行う3級審査は、一挙に形の数が増えることもあって緊張感も増します。
しっかりと習熟度を披露して無事に認定となりました。

その後は3級審査で出た課題を全員で修練。
居捕の抱締、四方投等々…

扶桑会の昇級認定基準は、その時点での習熟度のみを見るのではなく、次の段階へ進もうという意欲を充分に有しているかどうかというところも重要視しています。

会員の皆さんには堅実な向上心を持って、継続していってほしいと思います。

【告知!】月刊秘伝2023年4月号に特集記事が載りました 
3月14日発売の「月刊秘伝」2023年4月号に扶桑会の活動が紹介されています。
「月刊秘伝」は武道・武術の専門誌として、この界隈では有名な雑誌です。

「技術の意識化=言語化で身体操作の”要素”を高める」と、難しそうなタイトルがついていますが、古武術の修行を通じて扶桑会が大事にしていることや、大東流合気柔術をどのように身につけていこうとしているのかなど、わかり易く記事にまとめてくれています。

稽古前に1時間ほど取材を受け、稽古中に写真を撮影。
それで6ページもの誌面を作ってしまうのは、なかなかの手腕だと思います。

読んでみたい方は、「月刊秘伝」のサイト https://webhiden.jp/mag/202304/
もしくは Amazonリンク https://www.amazon.co.jp/dp/B0BX76M1Y9
から購入できます。

良かったら、どうぞ!
其の四百二十四 踏み込む 大東流合気柔術 扶桑会 
大東流合気柔術では、攻撃を受けた時の対応がその多くを占めるが、「掛け手」と呼ばれる技法の体系も存在する。
つまり、こちらから攻撃を仕掛け、それによって相手の体勢を崩し、あるいは心理的な動揺を誘ってこちらの意図を完遂していくのだ。

こちらの攻撃でダメージを与えようという企図は希薄であるから、打撃など攻撃そのものの威力を云々することは重要視されない。
いわば、「フェイク」の攻撃を仕掛けることによって相手を動かしていく。
今回の動画のタイトルは「踏み込む」である。
よくその内容を見ないことには何のことか分かりにくい表題であるが、これは「罠(わな)」となる攻撃を、「あたかも本物のように見せることが肝心である」ということを伝えたかったのだ。

具体的には手刀の掌を上に向け、親指と四指の先で相手の目を薙ぐように斬り込んでいく。
手刀の動き出しは帯剣している腰のあたりが望ましい。
視界を外れている下方向から、まっすぐ伸びていく攻撃である。

これは、もちろん相手に回避行動を取らせることを目的としたものなのではあるが、その前提を気取られてはいけない。
しっかりと「踏み込み」、気迫をもって斬り込んでいく必要がある。
この動きに相手が大きく反応すれば、次の動きで合気柔術「手鏡」の技法が活かせるのだ。

人間の身体的弱点を突くのみならず、心理的な盲点を積極的に利用、攪乱していく。
明治期に武田惣角先生が伝えた日本古流武術の奥行きに驚嘆せざるを得ないのである。
其の四百二十二 お辞儀する 大東流合気柔術 扶桑会 
前回、「其の四百二十一 乗せて制する」では胸倉をつかまれそうになった時、その直前で回避して制する動きを取り上げた。
今回は、掴まれてしまった場合にどう対処するかというところで解説してみたい。

ここでも重要になるのが「相手を乗せてしまう」という操作であるが、強くつかまれている接点に力をかけると、相手の抵抗を生んでしまう。
やはり、ぶつかることなく相手の攻撃線を外側にはずしながら、掴んできた腕に沿うようにして身体を捌く。
この時の動きの精度が高くなれば、相手は自分の腰に「乗ってしまう」。

攻撃に対して、全身を使って寄り添うように動くことが相手を無力化するのに最も効果を発揮するというところが、古武術である大東流の真髄と言える。
さらに言えば、今となっては失われつつある日本古来の考え方の高度さを表していると言えないだろうか。

身体操作的には、この後も力任せに相手を痛めつけるということではなく、全く力を入れないような意識で相手の腕に自分の手刀を「乗せる」。その状態で手首と腕を固定しながら、腰から折り曲げるようにしてお辞儀をすれば、相手はたまらず崩れ落ちる。

試みに力を込めて相手を押し込んでみても、決してそれでは倒せない。
如何に相手への対抗心を消すかがこの動きの本質である、ということを念頭において稽古していただきたい。
其の四百二十 一筆で倒す 大東流合気柔術 扶桑会 
今回は、柔術技法における「一筆書き」ということについて述べてみたい。
私どもが普段稽古しているのは、書道になぞらえれば「楷書」ともいうべき方法である。
すなわち、「止め、はね、はらい」を着実に行って一つの文字を書き上げるように、部分的な動作をしっかりと連続させ、一つの技を形成していく。

楷書に対し、一画一画を流れるように形作っていくのが行書であり、
全体を一筆で書き上げていく草書となるとその流麗さに比して技術的な難易度は格段に上がる。
私も「下手の横好き」で筆をとることがあるが、やはり楷書の域を脱して行書・草書に達するには、余程の習熟を経なければ難しいと実感できる。
筆の運び、勢いの緩急、全体の中での部分の調和。
書道における技術的留意点はそのまま大東流の柔術技法にも当てはめられる。

話が横道にそれたので、動画解説に戻ろう。
今回、「一本捕」を一筆書きの要領で流れるように行ってみたのであるが、楷書的な柔術技法にしても、行書・草書的な合気柔術技法であっても、初動の「乗せる」という操作が重要であることには変わりがない。

「乗せる」とは、攻撃してきた相手を自分の腰(体幹)と繋げてしまうことであり、そこで無力化してしまうことだ。
その上で、柔術的技法で行う一つ一つの操作をほぼ同時的に、なおかつ簡潔に最小の動きを用いて行うことで「一筆書き」の技が成立する。

上記説明した一連の動きは、相手の攻撃の意思を妨げることなく、自分の優位なところに導くようにして制する手法であるが、「合気之術」という境地にまで達すると、この「乗せる」動きが相手を物理的・心理的に支配するような形で発動されるという。
稽古日誌 令和5年1月8日稽古始め、12日、15日 大東流合気柔術 扶桑会 
大東流合気柔術 扶桑会の稽古日誌です。
今年になって会の名称を「扶桑会」に変更し、気持ちを一新して修行に励みます。

そんな「扶桑会」の稽古始めは1月8日(日)でした。
まずは、会の名前をいただいた、神道扶桑教さんの世田谷太祠にて初詣を行うことから一年を始めます。

続いて、いつも稽古場にさせていただいている本殿にてお祓い、御祈祷を受けたあと、恒例行事となっている新年奉納演武。
今年は5人が、合わせて13の形を神前に納めました。
技術の巧拙にとらわれず、健康な身体で稽古できる感謝の気持ちを演武に込めます。

その後行った稽古では、奉納演武の内容を全員で修練しました。

当日は正月から続く晴天で気温も暖かく、こころから清々しく、楽しく汗を流すことができました。

扶桑教の管長から、「扶桑会」を名乗ることについても允許状をいただき、皆さんの前でお披露目。

これからの一年、心を合わせて進んでいきたいと思います。

続いては1月12日(木)、世田谷総合運動場体育館での稽古。

部分的な力に頼らず、全体を意識して動くことを中心に修練しました。

言葉にするのは簡単ですが、やはり実際にやってみるとなかなか思うようにはいきません。
言い換えるならば、いかに日常の中で、小手先の動きに終始してしまっているかを実感することにもつながります。

一日の稽古でできることは限られていますが、普段から意識して生活することができれば、必ず進歩していきます。

1月15日(日)は扶桑教太祠 本殿での稽古。

今年の稽古のテーマである「結ぶ」の字を稽古場に掲げました。

武術的には「相手と接触するその瞬間を大切にする」という意味を込めています。
攻撃してきた相手を、どう捉え、受け止め、こちらの意思を伝えていくか。

この考え方は武術だけにとどまらず、様々な局面で応用できるはずです。

「初動」の大切さを、どこまで意識できるか。
古武術修行を通じて、それぞれの生活にも何か良きものをフィードバックしていきたいものです。

其の四百十八 受け止める 大東流合気柔術 扶桑会 
<令和5年より、我々は東京稽古会から
「大東流合気柔術 扶桑会」と改称して活動してまいります。
今後ともよろしくお願いいたします>
今回は、相手と接触する瞬間にどのように動き、振舞えばよいかということについて述べてみたい。
すなわち、初動についてである。

古武術においては、相手との接触を「結び」と呼ぶ。
大東流合気柔術では、この「結び」の時点で相手を自分の身体と繋げてしまい、意のままに操ることを目指す。
操作としては、いつも言っていることの繰り返しになるが、肩から先の筋力に頼ってはいけない。
全身の連動をもって、柔らかく手刀を使うことで大東流合気柔術の「結び」の動作が実現する。

「相手と自分の身体を、接触した瞬間に繋げる」と簡潔に述べたが、より具体的には、正面打を打ち込んできた相手を自分の重心に乗りかからせしまうことで、目標を見失わせる、あるいは相手が体のバランスを崩して力を発揮することができない状態を作り出すのだ。

今回の動画では、剣を使う様子をイメージし、身体を伸ばした状態で相手の打撃を受けることを主眼として解説を行った。

もとより大東流合気柔術の根幹部分に係る技術である。
一朝一夕に習得できるところではないのはもちろんだが、少しづつ体に練り込むべく修練されたい。
其の四百十六 落差で崩す 大東流合気柔術 扶桑会 
<令和5年より、我々は東京稽古会から
「大東流合気柔術 扶桑会」と改称して活動してまいります。
今後ともよろしくお願いいたします>
前回、座ったままで相手を後方に投げ飛ばす「居反」という形を解説したが、それを立った状態で行うとどうなるかということを述べてみる。

両手首を抑えに来た相手の手を逆に取りかえし、人差し指の付け根で急所を攻める。
この急所は手首の「脈所」と呼ばれる部分であるが、自分の腕に力が入ってしまうと相手に力が伝わらない。
むしろ手刀を真っすぐに伸ばすようにして、自然に当たるに任せておくくらいの気持ちで操作すると、非常に威力ある攻めとなる。
この操作が決まれば相手は浮足立ち、腰の位置が上がる。
こうなれば前回解説した、「乗せる」状態へと相手の重心を誘導できる。

次に、立った状態から正座へと自分の体位を変化させる。
これは非常に大きな落差を生む。
相手は自分の重心を奪われているわけなので、これもまた大きな威力を発揮して、たまらず前方へと飛ばされていくわけだ。

ただし、これは自分の体位変化が、地球の引力に沿った「垂直落下」でなければ効果を発揮しない。
つまり、筋力の作用による引っ張りや押し込みがはいってしまうと、とたんに技がかからなくなってしまうのである。
そして、その「垂直落下」を可能にするのは全身を脱力して動けるかどうかにかかっているのだ。
脱力によって感覚を研ぎ澄まし、自分の身体の状態を正確に感知するセンサーを働かせなければならない。

初動で手首を極めるのも、しゃがみこんで投げる時にも、十分な脱力をもって全身の力を使う。
大きく派手に見える技ではあるが、そのパフォーマンスを支えているのはやはり、脱力の思考法であることを銘記していただきたい。
其の四百十五 脱力とは? 大東流合気柔術 扶桑会 
<当ブログをご覧の皆様、新年あけましておめでとうございます。
令和5年より、我々は東京稽古会から
「大東流合気柔術 扶桑会」と改称して活動してまいります。
今後ともよろしくお願いいたします>
今年最初の動画解説では、「大東流合気柔術 扶桑会」の命名についてご説明します。

古来、扶桑(ふそう)という語には「日本」という意味があります。
また私たちが日ごろ稽古させていただいているのは神道扶桑教 世田谷太祠(扶桑教大教庁)の神前です。
扶桑教は、江戸期の富士講に源を発する全国の冨士山岳信仰の一拠点でありますが、そこでは「扶桑」を日本国の象徴でもある「富士山」に擬していると伺っています。

我々扶桑会では、神代から継承されてきた日本の身体操法と思考法を「現代社会を生きるための知恵」として活かすべく、日々修練を行っています。

自然体の感覚、身体の全体性を感じながら動く意識、ぶつからず滞らない考え方。
大東流合気柔術の中には、日本固有の文化といってもいいこうした財産が豊富に含まれているというのが、私の持論です。

古の日本文化を古武術を通して学び身につけ、冨士の頂のように高みを仰ぎ目指しながら修行の道を進んでいきたい。
「扶桑会」という新しい会の名称には、そうした思いが込められています。
稽古日誌 令和4年12月1日、4日、11日、15日 大東流合気柔術 東京稽古会 
大東流合気柔術東京稽古会の稽古日誌、今回は12月上旬から中旬にかけての稽古内容を記します。
12月1日(木)は神道扶桑教太祠での稽古でした。

重心移動を使って技を行うことを主眼に。

相手と自分との位置関係を常に意識することで、無理のない動きを導き出していきます。
古武術である大東流の考え方ですが、現代の日常生活に応用できる深い含蓄を秘めていると、私は感じています。

続いて12月4日(日)の稽古。

この日は4級の審査を行ったのち、「軽く触れる」「伸ばす」をテーマに脱力について研究しました。

それぞれ習熟度合いは違いますが、その位置に応じた課題を見つけながら自己研鑽していきます。

私が海外出張のために一回休みのあと、12月11日(日)は高津スポーツセンターでの稽古。

この日も、力まない、ぶつからないを主なテーマにして、一カ条の立合、居捕を数多く修練しました。

体格差や性別の違いで力むことなく、無理押ししないことが不思議と相手を動かしていきます。
この日は少数精鋭。いつも以上に気迫のこもった稽古となりました。

12月15日は扶桑教太祠本殿での稽古。

久々に顔を見せた会員さんも、大東流の核心技法に取り組みます。

個々人がそれぞれのスタンスに立ちながら、一同に会して稽古を行うことにも、大きな意味があると感じています。

あらゆる場所での武術修行が皆さんの人生を豊かにする一助となることを願ってやみません。
