扶桑会について
指導者: 石塚嘉 【達人・名人・秘伝の師範たち】
稽古日時:日曜14時半~16時半 / 木曜19時~21時
稽古場所:神道扶桑教 世田谷太祠 東京都世田谷区松原1丁目7−20 【道場紹介】
入会希望者が参加可能な公開稽古は 10月22日(日)14時30分から16時30分まで開催します。
場所は 明大前 扶桑会館(神道扶桑教太祠 本殿) です。
扶桑会への入会を希望される方は 左のメールフォームよりお問い合わせください。
【関連商品】
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【Twitter】https://twitter.com/aiki_fusoukai
【Instagram】https://www.instagram.com/aiki_kobujutsu/
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稽古日時:日曜14時半~16時半 / 木曜19時~21時
稽古場所:神道扶桑教 世田谷太祠 東京都世田谷区松原1丁目7−20 【道場紹介】
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稽古日誌 令和5年9月10日 14日 18日本稽古 大東流合気柔術扶桑会 
大東流合氣柔術 扶桑会の稽古日誌。今回は9月中旬の稽古について記録していきます。
まずは9月10日(日)。基本の形を、流れを止めずに「一筆書き」のような気持ちで動いてみるところから始めました。

私たち扶桑会はどちらかと言えば柔術をベースにした術理をもっています。
それは、私が久琢磨の大東流の流れを汲む琢磨会で修行していたことが大きいのですが、一つ一つの動きをしっかりと、相手の身体を詰めて崩していくところに技の特徴があります。

勢いで動かしてしまうと、表面的には見栄えがいいのですが、本当に効かせて崩していることにはなりません。
初心者ほど一点一画をゆるがせにしない「楷書」的な技術が求められます。

そんな中で、いつもとは違う「流れを切らない」操作に戸惑う部分もあったかもしれません。
一方で、いつものやり方の重要性も再確認できた部分もあったはずです。

この日は稽古中に海外向け日本文化発信のテレビ番組の取材の方が来られました。
そんな中でも、いつも通りのスタイルを崩さずに最後まで稽古。
いつも心掛けている平常心です。

続いては9月14日(木)の稽古。
稽古中のよくあるエピソードとして「さっきまで出来ていたのに、人が変わると全然(技が)通じない」というのがあります。
微妙な感覚が要求される動きほど、こうした「ギャップ」が生まれやすいものです。

熱心に稽古している人ほど、積み上げた石が無造作に崩されたような感じがして、やる気を失ってしまうことも多々あります。
そういう時に試されるのが、変化した状況に「適応しよう」という強い思いだと思います。

例としては突飛に過ぎますが、かつて地上で生活していたイルカやクジラの祖先は「海に戻りたい」と切実に思い、気が遠くなるような世代交代の間にもその思いを持ち続け、自分の足を尾びれに変化させ、心肺機能を水中生活に適応するように作り変えました。
生き物とは、このように強い「心の力」をもっています。強く思えば、現実を変えていくことが出来るのです。

人間もまた、生き物として、この計り知れない力を有している存在なのだということを忘れないようにしたいものです。

9月18日(月・祝)は9月の本稽古でした。
今回のテーマは「結び」。

これは今年の重点目標にも掲げている大東流の考え方です。

相手と接触した瞬間に「つながり」を作ること。
それにはまず攻撃を「受け入れる」ことが必要です。

力で跳ね返してしまうと、決して「つながり」は生まれません。
害意をもって攻撃してくる相手を受け入れるということは、言葉でいうほど簡単なことではありません。
また、単なる身体操作の訓練だけで実現できるものでもないと思います。

むしろ精神的な在り方が問われる思考法です。
これからの稽古でも、常に意識していきたいと考えています。

其の四百五十三 抜く 大東流合氣柔術扶桑会 
我々が公開しているYouTube動画に対する質問の中に「相手が本気で掴んできたら技はかかりますか?」というものがよくある。
おそらく質問者は「これは相手が忖度して(手加減して)攻撃しているから(技が)かかっているのだろう」という感覚を抱いているのだと思うが、結論から言うと「力を込めて掴まれた方が(技は)良くかかる」。

大東流合氣柔術の中でも重要な思考の体系として「脱力」という要素があるが、今回の動画はまさにそれをよく体現している。
両手で腕をつかまれるというのは一見すると掴まれた方が不利のようだが、掴まれたその一点を操作することで全身を崩せるため、「脱力」の効果が測りやすい。
ただし、動画内でも説明しているように単純に「力をなくしてしまう」ような脱力では相手は動かない。
丁寧に言うならば「脱力」することよって「全身一体の動きを作り出す」ことが必要になってくる。
これは前回までの説明と似通ってくるために、「またか」と思われる方も多いかもしれない。

そこで、この解説を読んでくれている方のために、動画では触れていないコツをお伝えする。
それは「まず、ぶつかる」ということだ。

攻撃に対して、こちらは腕の筋力をもってして対抗するのだ。
ほんの一瞬、身を硬くして相手をはじき返すようにしてみよう。
相手はその反応に対して、さらに入力を強めようとする、その際を狙って全身脱力する。

力の差があるほど、この理合は有効である。
日々の稽古の中で試してみていただきたい。
其の四百五十二 完全脱力 大東流合氣柔術扶桑会 
何故こうなるのだろうと、不思議に思うこと。そしてその正体を見極める探求をし続けること。
私たちがなにか未知の技術を理解し、上達させていくためには、まずはそのような探求心が必要だろう。

今回の動きも、接点を脱力すると言うベースのところは同じである。
だが、表面的に大きく投げ飛ばすような派手な動きがある分、それに目くらましを受けてしまう人も多いかもしれない。
発生する動きの大きさは、こちらからの入力の大きさとは比例しない。
これは、相手に対して強い力を与えることで投げ飛ばしているのではないという意味だ。

その代わりに、相手が掴みかかってくる力をただ受け止め、それに逆らわないように自分の身体を動かしている。
「腕をフニャフニャにせよ」というのは、そのことだ。
言葉を変えていうならば、相手が掴んできた(攻撃してきた)その「害意」を妨げることなく、むしろ自ら喜んで攻撃させ続けてやる、というような意識を持つことが、この操作の一番肝心なところなのだ。

最初は相手が呼吸を合わせて「飛んで」いるのだろうと決めてかかる人もいるかもしれない。
それはそれで構わない。ただ、その人はこの技術の探求をすることはないだろう。
世の中が仮にそういう人ばかりになってしまったとき、古武術のこの技法は「失伝」する。
それは、古武術に限らず、現在失われかけている貴重な、しかし現代的感覚から見て「胡散臭い」とレッテル貼りされているほかの技術・思考法においても同じことがいえる。

幸い、扶桑会ではささやかながら継承の努力を続けることが出来る。
こころから有難いことだ、というべきだろう。
稽古日誌 令和5年8月31日 9月3日 7日 大東流合氣柔術扶桑会 
大東流合氣柔術 扶桑会の稽古日誌、今回は8月末から9月上旬にかけての修練の内容を記していきます。
まずは8月31日(木)の稽古。
この日は「交叉取り」に対してどう応じていくかというテーマでした。

自分の右手に対して向かい合った相手も同じ右手で掴んできます。
丁度握手をするときを想像してもらえるとわかりやすいかと思いますが、YouTubeに公開している動画などでは実際にこうした形で攻撃をしてくることはないのではないかという批判を受けることが偶にあります。

いわゆる「実戦では古武術的な動きなど役に立たない」という意見ですが、そうしたプラグマティック(実利優先)な思考と古武術とはやはり相性が悪いというのが私の持論です。
例としてふさわしいか分かりませんが、パソコンやスマホで文字を打つことが日常化した現代人にとって、墨と筆を使って字を書く書道など何の役に立つのだ、という論にも似ていて、そこには対話が成立しない状況だと感じています。

全て世の中の技術には、その拠って立つ精神性や、理想とする思考が存在します。
スポーツ格闘技にもそれがあるのでしょう。
そしてまた同じく我々の追及する古武術においても、古来より連綿と受け継がれてきた極意があり、我々修行者はそこに到達することを目指しているのです。

続いては9月3日(日)の稽古。
基本の形も、毎回着眼点を変えて行うことで、初心者も上級者も同じように新鮮な気持ちで取り組めます。

手刀の概念化であれば、普段意識していないポイントについて取り組むだけで、いつもの決まりきった動きとはガラリと変わってきます。
この日は「手首を曲げない」という考え方を抽出しました。

それぞれ社会人として責任を果たすなかで、週に二回の稽古はなかなか厳しいものがあるとは思いますが、各自で着眼点を工夫して毎回の稽古の意義を高めていってもらえればと思います。

何の修行であっても、続けることが重要です。
会員の皆さんの継続意欲を手助けできるように、指導する側も精進を心がけます。

最後は9月7日(木)の稽古。
手刀を「縦」に使う意識の養成から始めました。

親指側を使うのも「縦」の考え方です。

手刀には「刃」と「峰」があり、それぞれ小指側と親指側が相当します。
それらを接点に対して垂直になるように操作していきます。

手刀については状況、形の種類によって千差万別、多様な考え方が可能です。
まずは根本の原理を理解して、その後応用編へと進んで行きましょう。

其の四百五十一 構える 大東流合氣柔術扶桑会 
相手に両手首をとられて押し込まれる。
強い力で圧倒されるかと思いきや、わずかな動きで相手の腰を浮かせて身動きできない状態にしてしまう。

大東流合気柔術の演武でよくみられるこういった動きは「合気」と呼ばれることがある。
いわゆる物理法則を超えた達人の所業というニュアンスが込められた「合気」という言葉だが、今回紹介する動きは、どちらかというと柔術的な物理法則を援用した操作である。
とはいえ、目に見える状況としては「合気」に近い。
相手の体の自由を奪うわけであるから効果としても同等といえるだろう。
単刀直入に言うと、これは「剣の理合」によって全身を使い、相手の体に柔らかい力を伝えている。
動きとしては「刀を構えるように」相手に対峙し、掴まれたところを脱力することで抵抗し難い力を発揮するのだ。

「合気上げ」という操作法は、多くの大東流の形の初動に使われるが、その根本原理がこの動きに込められている。
もちろん、この操作が円熟しより精妙になることによって先に述べた「合気」に近づいていくのであろう。

「掴まれたところを脱力する」というのは、ここまで再三言及してきたように、部分的な出力に陥らず、自分の体全部を使って力を出していくことで実現する。
「剣を構える」ことはまさにその全体を使う動きに通じる。

対人稽古でなかなかコツがつかめないという方は、まず一人稽古で剣を持ってみることをお勧めする。
剣を扱うとき、部分的な筋力は使わないはずだ。
全身を使って剣を振る稽古をするだけでも、合気上げの鍛錬になる。
稽古日誌 令和5年 8月20日 24日 27日本稽古 大東流合気柔術 扶桑会 
大東流合氣柔術 扶桑会の稽古日誌です。
今回は8月下旬の稽古の内容を記録していきます。
まずは8月20日(日)。この日は扶桑会の行事として二段審査を開催しました。

大阪琢磨会から小林清泰先生をお招きし、立会をお願いしたうえでの審査です。
大東流の二カ条は合計30本。
一カ条からは難易度も格段に上がります。

継続した鍛錬の成果を見せて、無事に審査合格。2段認定となりました。
世界中どこの国においても、人間の言語読解能力の平均値は小学校6年生から中学校1年生のレベルだそうです。
それは、日常生活においてそのレベルの読解力があれば一通りのやり取りが支障なくこなせるから。
つまり、「とりあえず出来る」ところまで能力が上がった時、人は「それ以上のレベルに上げていく努力をしなくなる」という、興味深い分析があるのです。

これは武術の世界においても同じことがいえると考えます。
段位を上げて、一通りのことができるようになったとき、さらに切実にその上のレベルを目指す意識を持てるかどうか?
あくなき向上心は、もっと道の奥深くを見てみたいという真摯な思いから発します。

これからも変わることなく、古武術探求の心を持ち続けてもらいたいと思います。

続いては8月24日(木)。

この日は基本に立ち返り、攻撃を受けたときに自分がどういう心構えで対応するかを中心に稽古しました。
掴まれた部分を全身で操作して、三角点に導き崩す動き。

突き出された腕の内または外に体を捌いて、そこから崩しをかけていく動き。
シンプルな動きほど古武術の核心的な考え方が明確に現れます。

最後は8月27日(日)。
この日は8月の本稽古でした。

相手の攻撃を体捌きをもってかわす動きから始めました。
全身を一体化させて動けるかどうか、簡単なようで難易度は高いです。

さらに木刀や短刀を使って負荷を上げていきます。
人間の体の動きに、目で見える脅威の強さが大きく影響することを実感します。
平常心の維持こそが、達人への道なのです。

さらに手刀の使い方を研究したのち、この日は総伝技の研究も行いました。
相手に掴まれたところを、そのまま掴ませておいて、厳しい関節の固めに入ります。
琢磨会に伝わる、昭和のはじめ武田惣角の円熟期の技です。

基本から「幻の技」総伝まで。
これからも扶桑会では、奥行深く大東流合気柔術の探求に取り組んでいきます。

其の四百五十 手の甲 大東流合気柔術 扶桑会 
接点の脱力で相手に力を伝える考え方について、さらに別の角度から解説を加えてみる。
それは、「密着することで感覚をかく乱する」という技法である。

相手に強く拘束されたとき、接点である手首(手刀)を脱力する。ただし手刀にはエネルギーを通したままにしておき、いわゆる「手刀を活かした」状態である。
今回のキモとなるのは、この時に掴んでいる相手の掌(てのひら)に自分の手の甲を柔らかく密着させていくことだ。
密着させるという言葉で、自分から手の甲を押し付けていくようにとらえてしまう人も多いだろう。
実際に稽古の中でもそうした誤解に基づいて操作して、うまくいかない場合が散見された。

大事なことは、相手の掴んでくる動きに「沿う」ようにして密着することである。
こちらから動いてくっつけていくのではなく、あくまで相手の動きに合致するような意識で動かしてみる。
そのために、相手の動きをよく感じ取り、自分の身体を柔軟にして対応することが重要になる。

最初は要領がつかみにくいかもしれないが、小手先の動きで合わせていくのではなく、全身を使って相手の掌に密着させるような気持ちでやってみると、突破口が開けるはずだ。
これがうまくいくと、相手は自分の力のやりどころがわからなくなってしまう。
その混乱に乗じて崩しをかけていくのだ。

接点である手首や手の甲の部分に視線が行きがちかもしれないが、そこから離れた全身にこそ、技を成立させる秘訣が含まれている。
そうした逆転の発想が有効であるところも、大東流合氣柔術の魅力といえるだろう。
稽古日誌 令和5年8月11日 13日 17日 大東流合氣柔術 扶桑会 
大東流合氣柔術 扶桑会の稽古日誌です。
今回は8月中旬の稽古内容を記録していきます。
まずは8月11日(金・祝)、この日は世田谷総合運動公園体育館での稽古となりました。

普段は世田谷区松原の神社、神道扶桑教さんのお宮で稽古させていただいていますが、祝日などは場所を変更して、公共の施設を使うこともあります。
この日はたっぷり3時間半の修練です。

自然体とは何か、立ち方、座り方、歩き方、体の捌き・・・。
基本中の基本というべき身体の使い方を丁寧に繰り返しました。

この日稽古に参加できた人は得したね!というくらい重要ポイント目白押しの内容でした。

続いて8月13日(日)。
扶桑会には幅広い年齢層の会員さんたちがいます。

仕事や、普段の生活も様々な人たちが、古武術の考え方に則って体を動かすことを楽しむために集まって修練しています。
ひとりひとりがそれぞれの立場や、責任をもって社会で活躍しながら、週に二回の稽古で分け隔てなく交流し、お互いに切磋琢磨しあう、こうした場はどこにでもあるわけではありません。

職場でも、家庭でもない、利害関係に基づかない人とのつながりがあること。
「第三の居場所」と呼ばれる、こうしたコミュニティーは、人の人生を豊かにする重要なファクターであり得ると思います。

沢山の有難いご縁で成立している「扶桑会」。
この集まりの場を、これからも大切に守り育てていきたいと思っています。

最後は8月17日(木)の稽古。
基本の形は両手取り合気上げから。

剣を構えるような意識で、全身を脱力してやってみます。

この日は全員で二カ条の形を修練してみました。
衣紋締めから背挫。

少数精鋭で密度の濃い稽古になりました。

其の四百四十八 親指で乗る 大東流合気柔術 扶桑会 
攻撃してきた相手と接しているところを脱力し、柔らかく使うことで打開していく動きについて、これから数回にわたってお伝えする。
「接点でぶつからない」、大東流合氣柔術ならではの考え方だ。

たとえば拳による突き、足による蹴りなど、勢いづいた攻撃者との接点を柔らかく捉えるということは、それだけで大変難しい技術だ。
最初からそうした動きが自在に出来るようにはならないので、その訓練として片手首をつかまれる状況を想定する。
最初のうちはこうした入力に対しても、やはり体がこわばってしまい、力任せに振りほどこうとするような形になってしまうだろう。

動画の中で説明している通り、初心者はまず肩から先の筋力を「オフ」にすることを目指してみてほしい。
実際には手首で相手とぶつからなければ良いのであるが、接点だけを脱力するのは慣れないうちは難しい。

そのうえで、手のひらに関しては指先を柔らかく開くようにする。
扶桑会ではこれを「手刀を活かす」と言っている。
さらに開いた手刀の親指の「背」の部分で、相手の親指の付け根に触れるようにするのだ。

この時に、先ほどの「肩から先の筋力オフ」が重要になる。
足を動かし、全身を使って相手の親指に触れていくような意識で操作してみてほしい。
このことが「ぶつからない身体の使い方」につながっていくのであるが、今回はここまで。
次回もまた、同様の動きについて解説してみたい。
其の四百四十七 柔らかく使う 大東流合気柔術扶桑会 
害意ある相手に対して力で立ち向かうから、相手もまたそれ以上の力で向かってくる。
するとまたこちらもさらに大きな力で対応し…と終わりのない軍備拡張競争の寓話にでも出てきそうな話ではあるが、これは我々の身近なところでも、常に起こりうるジレンマだ。
大東流合気柔術は、力に対して違う角度から対処することを教えてくれる技術の体系を持っている。

今回の動きは、古武術大東流の考え方を使って、ちょっとした身体上の実験を試みたものである。
「遊び」と言ってもいいだろう。
対人護身に使えるというような類の物では全くないので、ご了承いただきたい。
実験と言っても、やることは簡単で「いかに掴まれたところの力を抜くか」ということ。
あたかも自分の手首とその周辺が、良くしなる「鞭(ムチ)」にでもなったイメージで相手の手首に巻き付けていくのだ。

少しでも自分の身体に硬くぶつかるところがあると、相手もまた身体を固めてしまって動かない。
手首をつかんだ相手が拍子抜けしてしまうほどに、力を抜くことが出来るかが問われる操作だ。
この脱力を完全に行うと、相手の抵抗はほぼなくなる。
そして自分の思うとおりに動かしていくことさえできるのだ。

ただ、一点断っておかないといけないのが「完全なる脱力」というものが、まったく物体として重力の支配下にあるものかというと、それとも言いきれないところがある。
この完全脱力した手刀(肩から先、手の指先まで)の芯には、操作する人の「意志」が通っていなければならない。
あるいはエネルギーと言い換えてもいいだろうか。
これを先達たちは「氣」というような言葉で呼びならわしたのかもしれない、と今の私は考えている。

「芯を作って脱力する」。
音では簡単に言える短い言葉だが、これを実際に運用できる身体になることが私たちの修行の目的なのだ。