扶桑会について
指導者: 石塚嘉 【達人・名人・秘伝の師範たち】
稽古日時:日曜14時半~16時半 / 木曜19時~21時
稽古場所:神道扶桑教 世田谷太祠 東京都世田谷区松原1丁目7−20 【道場紹介】
入会希望者が参加可能な公開稽古は 10月22日(日)14時30分から16時30分まで開催します。
場所は 明大前 扶桑会館(神道扶桑教太祠 本殿) です。
扶桑会への入会を希望される方は 左のメールフォームよりお問い合わせください。
【関連商品】
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【Twitter】https://twitter.com/aiki_fusoukai
【Instagram】https://www.instagram.com/aiki_kobujutsu/
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稽古日誌 令和5年 8月20日 24日 27日本稽古 大東流合気柔術 扶桑会 
大東流合氣柔術 扶桑会の稽古日誌です。
今回は8月下旬の稽古の内容を記録していきます。
まずは8月20日(日)。この日は扶桑会の行事として二段審査を開催しました。

大阪琢磨会から小林清泰先生をお招きし、立会をお願いしたうえでの審査です。
大東流の二カ条は合計30本。
一カ条からは難易度も格段に上がります。

継続した鍛錬の成果を見せて、無事に審査合格。2段認定となりました。
世界中どこの国においても、人間の言語読解能力の平均値は小学校6年生から中学校1年生のレベルだそうです。
それは、日常生活においてそのレベルの読解力があれば一通りのやり取りが支障なくこなせるから。
つまり、「とりあえず出来る」ところまで能力が上がった時、人は「それ以上のレベルに上げていく努力をしなくなる」という、興味深い分析があるのです。

これは武術の世界においても同じことがいえると考えます。
段位を上げて、一通りのことができるようになったとき、さらに切実にその上のレベルを目指す意識を持てるかどうか?
あくなき向上心は、もっと道の奥深くを見てみたいという真摯な思いから発します。

これからも変わることなく、古武術探求の心を持ち続けてもらいたいと思います。

続いては8月24日(木)。

この日は基本に立ち返り、攻撃を受けたときに自分がどういう心構えで対応するかを中心に稽古しました。
掴まれた部分を全身で操作して、三角点に導き崩す動き。

突き出された腕の内または外に体を捌いて、そこから崩しをかけていく動き。
シンプルな動きほど古武術の核心的な考え方が明確に現れます。

最後は8月27日(日)。
この日は8月の本稽古でした。

相手の攻撃を体捌きをもってかわす動きから始めました。
全身を一体化させて動けるかどうか、簡単なようで難易度は高いです。

さらに木刀や短刀を使って負荷を上げていきます。
人間の体の動きに、目で見える脅威の強さが大きく影響することを実感します。
平常心の維持こそが、達人への道なのです。

さらに手刀の使い方を研究したのち、この日は総伝技の研究も行いました。
相手に掴まれたところを、そのまま掴ませておいて、厳しい関節の固めに入ります。
琢磨会に伝わる、昭和のはじめ武田惣角の円熟期の技です。

基本から「幻の技」総伝まで。
これからも扶桑会では、奥行深く大東流合気柔術の探求に取り組んでいきます。

其の四百五十 手の甲 大東流合気柔術 扶桑会 
接点の脱力で相手に力を伝える考え方について、さらに別の角度から解説を加えてみる。
それは、「密着することで感覚をかく乱する」という技法である。

相手に強く拘束されたとき、接点である手首(手刀)を脱力する。ただし手刀にはエネルギーを通したままにしておき、いわゆる「手刀を活かした」状態である。
今回のキモとなるのは、この時に掴んでいる相手の掌(てのひら)に自分の手の甲を柔らかく密着させていくことだ。
密着させるという言葉で、自分から手の甲を押し付けていくようにとらえてしまう人も多いだろう。
実際に稽古の中でもそうした誤解に基づいて操作して、うまくいかない場合が散見された。

大事なことは、相手の掴んでくる動きに「沿う」ようにして密着することである。
こちらから動いてくっつけていくのではなく、あくまで相手の動きに合致するような意識で動かしてみる。
そのために、相手の動きをよく感じ取り、自分の身体を柔軟にして対応することが重要になる。

最初は要領がつかみにくいかもしれないが、小手先の動きで合わせていくのではなく、全身を使って相手の掌に密着させるような気持ちでやってみると、突破口が開けるはずだ。
これがうまくいくと、相手は自分の力のやりどころがわからなくなってしまう。
その混乱に乗じて崩しをかけていくのだ。

接点である手首や手の甲の部分に視線が行きがちかもしれないが、そこから離れた全身にこそ、技を成立させる秘訣が含まれている。
そうした逆転の発想が有効であるところも、大東流合氣柔術の魅力といえるだろう。
其の四百四十六 持たせる 大東流合氣柔術扶桑会 
相手につかまれた手を、そのまま離させずにこちらの思うところに動かしてしまう。
今回はそんな大東流合気柔術に特徴的な操作を紹介する。

術がうまくかかればかかるほど、これを見た人の不審の念は深まるかもしれない。
技の受け手側が忖度して手を離さずにいるのだと思い、インチキだと片付けてしまう人もいるだろう。
しかしこれまでに何度も解説してきているように、攻撃の意思を持って掴みかかった人間の手というのものは、そう容易なことで開くものではない。
それはちょうどカバンを持っている人が、突然誰かにそのカバンを奪われそうになったとき、思わず反射的に力を入れて把手を握ってしまうのと同じ心理的な働きがあるからだ。
もちろん、この譬えは一瞬の間に限り有効なものであって、技をかけるほうは相手の心理的規制が有効な間に取り押さえてしまわなければならない。

この時に捕り手側(技をかける方)が、精妙な感覚で攻めなければならない急所がある。
それが相手の掌底、さらに言えば拇指丘と小指球のちょうど間にある窪みの部分なのだ。
動画の中では「掌の谷間」と表現しているが、正確には上の表現がイメージしやすいだろう。

術者はここを攻めなければならないのだが、その攻め手にも微妙な感覚が要求される。
まず、腕の筋肉を使って突き上げるようにしたのでは、相手の心理的規制は起きにくい。
刀を使うように、手刀の小指側(刃)の方を意識して斬り上げるように操作する。
つまり「摺り上げ」の動きなのだが、これは全身を連動させて行うことが前提となる。

急所を攻めて相手の体が吊り上がったら、接点の感覚を変えないようにして素早く相手の腕の下をくぐり、後ろに回る。
慌ててしまうと、小手先の力になってしまいがちなので注意すること。
最後の極めの形は「脇詰め」となるが、この詳しい技法についてはいずれ項を改めて解説する。
稽古日誌 令和5年7月20日 23日本稽古 27日 大東流合気柔術 扶桑会 
大東流合気柔術 扶桑会の稽古日誌。今回は7月下旬の修練内容を記録していきます。
まずは7月20日(木)の稽古から。

相手が力いっぱい掴んだり、絞めてきた時にまず大事なのは「力で対処しない」ということです。
攻撃の意思に対して抵抗するような動きを見せると、必ず力のぶつかり合いになって膠着します。力が互角であれば、攻撃を受けた方が必ず不利になります。

窮地に陥っても、慌てず心静かに正しい姿勢で、形稽古で培った動きで打開すること。

特に首を絞められる「衣紋締め」のような攻撃を受けたときには、いかに落ち着いて自然体を崩さないようにできるかが問われます。
これからも習熟度に合わせて負荷を調整しながら取り組んでいくつもりです。

7月23日(日)は、7月の本稽古でした。
「接点を柔らかく使う」をテーマに、多種多様な動きで大東流の核心技法に取り組みました。

片手取り、両手取り、諸手取り、両肘取り・・・。
どのような設定で攻撃を受けても、初動で相手と「つながる」ことができてしまえば、そのあとの展開は容易になります。

相手の攻撃に対して反発するのではなく、その意図に「沿い」、いったん受け入れたうえで、自分を活かせる道を切り拓いていく。

身体操作もさることながら、こうした意識の変革こそ、この武術の神髄に近づきうる極意です。

競争原理一色のこの日本社会にあっては難しい価値観かもしれませんが、現代において古武術大東流を修練する意義はこの辺りにあると考えています。

最後は7月27日(木)の稽古。
前半は中段突きを内外に捌いて相手を崩していく動きに取り組みました。

攻撃に勢いのある相手に対して、常に真っ向正面から立ち向かうのではなく、適切な距離感をとって「間合い」を空けることも必要です。

仮に体格や筋力の差があったとしても、この「間合い」によって無理なく相手より優位に立つことができます。

一方で、接近してきた相手に対して、さらに密着することで自分の重心に「乗せて」しまうという考え方も有効です。
真逆の考え方ですが、ぶつからずに対処するという基本的な概念は共通しています。
これからも様々なバリエーションで、古武術大東流の奥義に近づいていくつもりです。

稽古日誌 令和5年7月6日 9日 13日 大東流合気柔術扶桑会 
大東流合気柔術扶桑会の稽古日誌です。
今回は7月上旬から中旬にかけての活動内容について記していきます。
まず最初は7月6日(木)、扶桑教世田谷太祠での稽古。

つかまれたところ、打ち込まれたとき、接点に力を籠めずに操作していく修練から始めました。

技の難易度が上がり、複雑になるにつれて全身の脱力が要求される度合いが高くなっていきます。
相手との接点は、ほとんど手刀の一部分で触れているだけ、もしくは挟み込んでいるだけ。柔らかい動きが出来るほど、技の切れが生まれます。

それぞれ現時点の習熟度に合わせて、そうした感覚をつかんでいってほしいと思います。

続いては7月9日(日)の稽古。
この日も接点に手刀を搦め、筋力に頼らず全身の連動で力を伝える修練から始めました。

肝心なのは、ぶつかり合い、せめぎ合っている部分にこだわらないこと。
身体操作というよりもむしろ、認識の刷新に難しさを感じているように見て取れます。

後半戦は後捕。
見えないところから攻撃を受けた時、どのように初動を取るかが問われます。
単純な動きのセオリーを学ぶだけではなく、対峙する心構えの鍛錬です。

受ける側ともコミュニケーションをとりながら、ただ形をなぞるだけに堕さない密度の濃い稽古を目指していきます。

最後は7月13日(木)。
自分の重心を相手の身体に乗せる操作法から。

小手先の動きで押し込んでしまいがちですが、ここは全身を一体化して「乗り」ます。
言葉で聞く分には何となく理解できますが、実際にやってみるとなかなかの難易度です。

これを行うためには、現代人が生まれてこの方、長らく支配されてきた「筋力による身体操作の呪縛」から脱する必要があります。

それは言ってみれば、自他の境界を取り払い、相手と思念を同調させることによって実現する身体操作なのかもしれません。
古武術の修練を通じて、そうした境地に通じることを目指していきたいと考えています。

其の四百四十一 中心で構える 大東流合氣柔術 扶桑会 
「力を使わずに動いてください」ということを稽古の中では良く耳にする。
しかし、その感覚を理解している人にとっては当然のアドバイスであっても、初心者にとっては全く支離滅裂な要求に聞こえるであろうことは想像にかたくない。

今回は、大東流合氣柔術初伝一ヶ条の「腰車」をもとに、「力を使わずに動く」とは一体どういうことかについて述べてみたい。
相手の攻撃は衣紋締め。両腕を使って力いっぱい首を絞めに来る。
これに対応して、捕り手側は相手の両肘を上下に分けるようにする。相手の身体の崩れを誘うことが目的だ。
この時に「力を使わないで動いてください」となる。
首を絞めてくる相手の腕を動かすのに「力を使わずに」とはいかなる意味か、とアドバイスを受けた側は混乱する。
ではありながら、力いっぱい相手の肘を押し上げたり、引き落としたりしても、なるほど全く動いてはくれない。
むしろ、相手はより一層力を込めてくるようになって、膠着してしまう。

つまり、これを初心者の立場に立って親切に言い換えるならば、「腕の筋肉の力を使わずに」というのが適当なのだ。
さらに言うと、「腰から腕を摺り上げるようにして、全身を連動させてください。筋力を使うのではなく、肘から小指までの線を張るように使って、自分の重心の上に乗せるように動きましょう」とでもなろうか。

ここまでは前回まで取り上げてきた「摺り上げ」の技法を使って説明できる。
「腰車」ではさらにもう一段崩しの度合いを高めて、自分の腰の上に相手を乗せてしまわなければならないのだが、やはりこの時も腕、上半身の筋力に頼って相手の身体を引き回そうとしてしまいがちだ。
ここも「力を使わないで」、すなわち「身体の中心で手刀を構えたまま、腰を回転させることで相手を動かしましょう」と言い換えていただきたい。

立体的な身体操作のイメージを言葉によって伝えるというのは、難しさを伴うことではある。
と同時に、この概念の言語化もまた、古武術の修行が奥深く、興味の尽きないところであると感じる。
稽古日誌 令和5年6月4日 8日 11日 大東流合氣柔術扶桑会 
大東流合気柔術扶桑会の稽古日誌、今回は6月初旬から中旬にかけての内容を記録していきます。
先ずは6月4日(日)、扶桑教世田谷太祠 本殿での稽古です。

手刀を使った操作を中心に修練。
手先の力で動かしがちですが、全身一体となって手刀から力を発揮しなければ相手は動いてくれません。
さらに突き詰めていくならば、相手との接点を全身でとらえる感覚が重要になってきます。

またこの日は「ゆっくり、丁寧に、正確に」動くことも併せて意識して取り組みました。
一つ一つ、崩しが効いているか。早い動きでごまかしていないか。

技全体として大きな動きに見えても、それらは細部の正確な操作の積み重ねで実現していくものです。
毎回の稽古で、忘れがちなところを再確認していきたいと思います。

続いては6月8日(木)、世田谷総合運動場体育館での稽古。
相手の攻撃を重心移動で崩す動きから修練を始めました。

最初はどうしても腕の力で引っ張り込んだり、持ち上げようとしてみたり・・・。なかなかうまくいかないのは接点を何とかしようとこだわっているからです。
いつも言う言葉ですが、「帯の上ではなく、帯の下を使う」ことが大事です。

つまり、上半身の力を使うかわりに、下半身を動かすべし、という口伝です。
「技は足でかける」という別の口伝もありますが、言っていることは同じです。

自分の身体を適切なところに置き、地球の重力を自然に受けられる姿勢で物事にあたる。
「重心を使う」という古武術の思考法は日常にも十分に活用できます。

最後は6月11日(日)。雨が降って少し蒸し暑い午後でした。
水分補給をしっかり行いながら、横面打ち、肩取りへの対処法を修練。

肩取りで前から攻撃を受けた場合と後ろからつかまれた場合では、技そのものに大きな違いがなくても、初動の意識が異なります。
ただ技の手順を追っているだけでは見えにくい部分にも、しっかりと焦点を当てることが必要です。

横面打ちも同様。
相手を乗せるのか、間合いを作って引き込むのか、すれ違って力をいなすのか・・・。
対応する意識に目を向けながら修練します。

身体にも、頭脳にも。たくさん汗をかきながら梅雨時の修練を続けていきましょう!

稽古日誌 令和5年5月14日本稽古、18日 大東流合氣柔術扶桑会 
大東流合気柔術 扶桑会の稽古日誌。今回は五月中旬の稽古について書きます。
5月14日(日)は5月の本稽古でした。

扶桑会の本稽古では、毎回大東流合気柔術の核心思考法を「要素」として取り上げ、修練しています。
5月のテーマは「間を空ける」、「正しい姿勢(自然体)」の2本立てでした。

「間を空ける」とは、相手との間に空間を作り出すこと。それを利用して相手の体勢の崩れを誘います。
さらには空間だけではなく、動く際の呼吸をずらして相手の攻撃を無効にする動き方にも言及。
これは時間的な「間」の操作法と言えます。

「正しい姿勢」は、普段から何度も取り上げている要素です。
いまさら言われるまでもないというところかもしれませんが、なかなか身体に練り込むまでには至りません。

稽古が進むにつれて「間を空ける」動きを効果的に使うためには「正しい姿勢」が不可欠ということに、皆がだんだんと気づき始めました。

稽古後の感想でもそんな言葉が多く聞けたのが、今回の収穫でした。
要素はそれぞれ個別に理解して事足れりとするのでは、機能しません。
古武術は「全体性」の思考法です。すべてを連関させて捉えていくことが、重要です。

5月18日(木)は、扶桑教太祠 本殿での稽古。

2カ条の形を取り上げて修練しました。
前回の本稽古で学んだ「間を空ける」動きが効果的に使われるのが、2カ条の技法群です。

現在主に修練している1カ条の動きより、さらに柔らかい動きが求められます。
腕の力、手首の力、部分的な操作に頼ってはなかなか技をかけることができません。

身体全体の連動を使って、無理なく相手を崩していく。
少しずつで良いので、自分の感覚を広げていきましょう!

其の四百三十三 一体化する 大東流合氣柔術扶桑会 
今回の動画のメインタイトルを「一体化する」としたが、これには二つの意味を持たせている。
いわば「掛け言葉」である。

前回「其の四百三十二 持たせておく」で解説したように、相手に掴まれた手首を振りほどくのでもなく、またぶつけていくのでもなく、ただ相手が掴んできたその感覚を出来るだけ変えないように、すなわち「持たせたまま」にしておくことで相手を無力化する技法がある。
これもその一つであって、相手の身体に掴ませたままの手を触れていくことで体勢を崩してしまう。
動画では腰と膝のあたりに高低差をつけて接触し、丁度自縄自縛に陥ってしまうような形にしていることがわかるだろう。
この操作では、相手に手を触れる際に肩から先の操作で動かしていこうとすると、うまくいかない。
それは腕の筋力に負うところの大きい運動であり、そうした力は出所が悟られやすく、容易に反応されてしまうのだ。
それではどうするか。
ここで、一つ目の意味である「自分の身体を一体化する」操作法が必要となる。

接触点である手首を、身体全体の連動によって操作していく。
このことで相手は力の出所を感知できない。予想外の力が押し寄せてくるような感じを受けて、思わず知らず自分の身体に貼り付けられるといったような感覚を覚えるのである。

さらにもう一つ、これは先ほどと比べると相当に難易度が上がるが「相手の身体と一体化する」操作を行う。
掴まれた手を「持たせたままにする」よりもさらに高度な身体感覚を必要とする動きであり、相手の身体を意図的に動かしていくというよりは、「相手の身体についていく」というべきか。

これについては、私自身も研究を重ねているところである。今動画を見直してみても、その域には到底達していない。
頂は未だ遥か高みにあるが、一歩一歩たゆまず進んでいくつもりである。
稽古日誌 令和5年3月16日 19日 21日本稽古 26日 30日 大東流合気柔術扶桑会 
大東流合気柔術扶桑会の稽古日誌、今回は3月後半の記録です。
3月16日(木)は世田谷総合運動公園体育館での稽古でした。

普段稽古に使わせていただいている扶桑教太祠が春季例大祭のため、毎年3月は稽古場所の確保がままなりません。
しかし、見方を変えてみればいつも決まった場所で稽古ができる境遇が如何に恵まれていることか。
改めて感じさせられます。

与えられたご厚意やおかげさまのご縁を、当たり前のことではないと知り、感謝の気持ちで古武術修行に向かうことを忘れてはならないと思います。

この日の稽古も基本の動きから積み上げて、じっくりと取り組みました。
いつも繰り返す動きの中にも、常に新たな発見を見出していく気持ちをもって修練していきたいものです。

3月19日(日)も世田谷総合運動公園体育館での稽古。

この日は冒頭で礼、残心といった所作について改めて重点を置いて基本の形を行いました。

古武術の本質は所作にある、というのが扶桑会で重視しているコンセプトです。
それは、人の動きの中に日本人独特の「世界の捉え方」が保存されているからです。
古来日本人は目に見えない「考え方」を重要視し、それらを伝承するために宗教儀礼や茶道や華道、伝統芸能の動きの中に、所作として織り込んでいったのだと、私は考えています。

その伝承経路の一つとして、私たちが取り組んでいる古武術が存在します。
現代社会では顧みられなくなってしまったそうした所作の復権も、古武術を通して我々が再認識していくべきことではないでしょうか。

この日、立派なイチゴ「とちおとめ」の差し入れをいただきました。

稽古の後、みんなでいただきました。甘くみずみずしいイチゴ。
ありがとうございます。

3月21日(火・祝)は3月の本稽古。
この日は春分の日、昼と夜がちょうど半分の長さになる「お彼岸の中日」です。

「国民の祝日に関する法律」によると、「春分の日」は「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」ということになっています。
太陽に明るく照らされる昼と、闇に包まれてしまう夜。
古来人々は、この不思議な世界の移り変わりを「目に見えるものと、見えないもの」の交代であると捉え、昼と夜が一日を丁度二分する春分、秋分の日を特別な日と定めたのでしょう。
そうした敬虔な感情が、現代の法律にも「自然や命を尊重する」という精神として残されているのだと思います。

稽古では「相手に掴ませたままにする」というテーマで基本要素を研究しました。
相手を制圧しようとするのではなく、自然の理に則った動きで応じることで、自分の活路を見出していきます。

脱力や、全身の連動、接点から反れたところで操作する意識など、大東流合気柔術の極意につながる思考法が数多く含まれる動きに丁寧に取り組んだ三時間でした。

続いて3月26日(日)、この日は稽古後に近くの公園で「花見」をする予定でしたが、あいにくの雨模様で残念ながら中止となりました。

とはいえ、稽古はしっかりと。
こちらから相手に働きかけて、体勢の崩れを作り出していく「掛け手」の技法をいくつかの動きで修練しました。

大東流では相手の攻撃に対応して技を発揮する操作が多いと感じる方も多いと思います。
しかし、私たちの取り組んでいる琢磨伝では、「掛け手」の技法が相当数含まれます。

武術として奥を極めていくうちに、相手から攻撃を受ける場合の動きの質も自ずと変化していきます。
ただ相手の攻撃を待つのではなく、「相手に攻撃させる」「自分の有利な位置に攻撃を誘う」というような考え方が必要になってきます。
この日の修練で、そうした思考法の片鱗が感じ取れたでしょうか。

最後は3月31日(木)、この日から稽古場所がいつもの扶桑教太祠 本殿に戻りました。
神前での稽古はやはり心が引き締まって良いものです。

基本動作として、「手刀の使い方」を中心に修練。

肩から先だけを動かしてしまいがちですが、手刀もまた「刀」です。
剣を使うがごとく、全身で操作していく意識がなくては、力が発揮できません。

脱力するとともに、身体の中心からエネルギーを放出するように。
基本の考え方として、常に意識して稽古していきましょう。
