東京稽古会への入会について
通常稽古は毎週木曜・日曜(または祝日)の2回行っています。通常稽古は会員限定です。
入会希望者が参加可能な本稽古は 5月22日(日)14時30分から17時30分まで開催します。
場所は 神道扶桑教太祠 本殿 です。
東京稽古会への入会を希望される方は 左のメールフォームよりお問い合わせください。
入会希望者が参加可能な本稽古は 5月22日(日)14時30分から17時30分まで開催します。
場所は 神道扶桑教太祠 本殿 です。
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其の三百八十四 ひったくられない 大東流合気柔術 東京稽古会 
今回も、女性や比較的力の弱い人でも使える古武術の思考法を紹介していきたい。

状況としては、歩いている状態ですれ違いざまに持っているカバンなどを奪われそうになるところを想定して行う。
単純に言えば、相手の力に逆らわずついていきながら、その進む方向を相手の重心の崩れやすいところ、つまり「重心の裏」に自分の身体をもっていくという考え方だ。
とは言え、とっさの時にそうした心得のもとに正しく武術的にふるまえるかどうかということは日頃の訓練による。
身体操法というよりも、むしろ精神的な鍛錬によるところが大きいだろう。

慌てていたり、心が動揺していればいるほど、人は力任せに体を使ってしまう。
自分の置かれた状況を瞬時に理解し、冷静に取りうる手段を選択出来ればすでに達人の域にいるといってもいい。

その意味では武術的思考法を訓練する場合にも、ただ漫然と行うのではなく、このように起こりうる状況を想定するということは有効ではないだろうか。

ちなみに直接的な「ひったくり犯罪」への対応策としては、カバンの持ち方、壁側に荷物を携行して通行するなど、有効な予防方法が複数存在するので、興味のある方はぜひ研究していただきたい。
稽古日誌 令和4年3月24日、27日本稽古、31日 大東流合気柔術 東京稽古会 
大東流合気柔術 東京稽古会の稽古日誌です。
今回は3月後半の記録です。

3月24日(木)は世田谷総合運動公園体育館での稽古。

軸を意識して相手の攻撃を受け止めて、崩す…

基本的な考え方ですが、実際に相手に対するとなかなか思うようには動けません。

正しい姿勢を維持すること一つとっても、頭で考えているイメージ通りにできないのが実情です。

稽古はそうした「自分の不可能性」を意識して、向上への意欲をかきたてるための場でもあります。

3月27日(日)は3月の本稽古でした。

この日は基本的な古武術の体の動かし方から始めました。

摺足を使って相手の攻撃を捌く動き。
スピードある突きや、木剣などの武器に対する動きを体感していきます。

これは実は毎日の稽古で行っている基本動作の中に含まれている動きなのですが、改めて意識すると見えてくるものがあります。

そして、基本動作が複雑な形の中に活かされることを学び、修練する…3時間にわたってじっくりと取り組める本稽古ならではのメニューです。

また、この日は5級審査も開催。

昨年入会した会員が初の審査に挑み、合格。
今後のさらなる精進を望みます。

稽古はこの後、居捕逆小手、肘当投、裏落。

前半で学んだ要素を使って、技をより深く理解していきます。

本稽古で基本の考え方を知ることは、大東流合気柔術の習得においてとても重要です。
東京稽古会では本稽古の内容をYouTube動画にして公開するなど、古武術の思考法を紹介することを一つの目的にしています。
このブログもその一つです。

もちろん実際に本稽古に参加して、実際に古武術の一端に触れることによって得られるものは非常に大です。

現在のところ、東京稽古会では本稽古への一般参加が可能です。
大東流合気柔術を体感してみたいという人は、メールフォームから問い合わせください。

最後は3月31日(木)の稽古。

手首の鍛錬から、裏落、両肘返、居反、合気上…。

相手を自分の重心の上に乗せるということをテーマに修練しました。

会員相互で自主的に内容を話し合って稽古を組み立てました。

自ら武術の道を探求していくことのできる、頼もしいメンバーたちです。

稽古日誌 令和4年3月10日、13日、17日、21日 大東流合気柔術 東京稽古会 
大東流合気柔術東京稽古会の稽古日誌。今回は3月中旬の記録です。
まずは3月10日(木)、扶桑教太祠 本殿での稽古。

合気上げ鍛錬法、片手取転換投、居捕逆腕捕、二カ条極めの4本。

相手に密着して操作する、重心を乗せるなど、繊細な身体感覚を修練しました。
これらはすべて大東流の奥義につながる考え方です。

この日は日本の伝統芸能「地唄舞」のお師匠さんが稽古の見学に来られました。

丹田を意識した動き、重力を真っすぐに身体に受ける姿勢。
武術と舞踊との間の共通点についても稽古後に皆で話し合い、楽しく意見交換させていただきました。

3月13日(日)の稽古には、大阪琢磨会より小林清泰先生が東京稽古会に指導に来てくださいました。

稽古は一本捕、逆腕捕、車倒、肘返など

主に大東流初伝の基本形に取り組みました。

技のディティールにこだわった指導を受け、初心者にとって有意義な時間となったと思います。

遠く東京にまでお越しいただき、非常に熱心に指導していただけることに感謝です。

続いて3月17日(木)、世田谷総合運動公園体育館での稽古。

手首の鍛錬を中心に基礎稽古。
鎌手詰、小手返、手刀詰、3カ条詰…

手首の鍛錬ではありますが、局部を意識するのではなく、全身の連動や、身体全体をさばいていくことが需要だということが改めて理解できます。

充実した稽古内容が、シブい表情でキメた写真でうかがえます。

3月21日(月・祝)は春分の日。新木場の東京スポーツ文化館での稽古。

一年ぶりの会場です。

稽古は大東流の特徴的な技法「搦める」を中心に取り上げました。

さらに相手の攻撃を受けた時と、はずした時の動きの違いについて。

生きた武術として稽古するためには、時には受けての動きを意表を突いた方法で処理していくことも必要です。

揺れ動く社会情勢や、人間関係の中で自分の軸を失わずに生活していくのも、一つの武術的思考スタイルです。

純然たる受け身で修練していては大東流合気柔術の核心部分をつかむことはできません。

自分なりの工夫をしながら取り組めるような稽古の流れを、今後はもっと多く取り入れて行こうと考えています。

稽古日誌 令和4年2月13日 17日 20日 23日 大東流合気柔術 東京稽古会 
大東流合気柔術東京稽古会の稽古日誌です。
2月13日(日)は扶桑教太祠 本殿での稽古でした。

「自然体を維持する」をテーマに2時間の修練。

「自然体」とは第一義には重力を自然に受けて立つこと。
地球の中心に向かって真っすぐに体を位置させることを目指します。

取り組んだのは合掌捕、逆腕捕、諸手取の崩し、腰車、抜手捕など。

滞らず、水が低いところに流れるように柔らかく人間の体を動かすというのは、言葉でいうのは簡単ですが、実に難しい。
日々の修練でこの境地に少しでも近づくように、精進です。

2月17日(木)も扶桑教太祠 本殿での稽古。

この日はまず、力比べのように両手をつかんで押し合いする鍛錬から始めました。

押される方が力で対抗すると、やはり体力勝負になりますが、体の芯でその力を受け止めて立つ大東流の体の使い方を使うと、非常に楽になります。

その考え方を使って合気上げ鍛錬、両手取り小手返、逆腕捕、切返。
力ではなく打開していく大東流の思考法で、形の修練
にじっくり取り組みました。

2月20日(日)も扶桑教太祠 本殿での稽古です。

この日は複雑な連続関節極めを皮切りに、一本捕、車倒、居捕各一本捕などなど

大東流の基本技ともいえる一本捕ですが、それだけに多くの核心的要素が含まれています。

受け、掴み、当て、崩し、極める。
重心の移動、脱力、伸筋の使い、姿勢の力で制する意識…

一つの形を繰り返し修練することで大東流の思考法を研究するのも、一つのアプローチです。

2月23日(水)は天皇誕生日。
世田谷総合運動公園 体育館での稽古でした。

いつもの合気上鍛錬から、腕の返しなどの基本操作を修練。

接点にこだわらず、全身の動きを使って力を伝えるところに極意があります。

人間の全体性を意識することは単なる武術の操作法にとどまらない思考の転換につながります。

大東流合気柔術の修業を日常に生かすうえで、大きな意味を持つ考え方といえるでしょう。

其の三百六十八 手枕 大東流合気柔術 東京稽古会 
相手の肘を曲げてある一定の方向に動かすと、いとも簡単に腰を崩すことが出来る…今回は大東流合気柔術のそうした興味深い動きを解説する。

肘は内側にしか曲がらない、限定された可動域を持つ関節であることについて、これまでにいくつかの操作法を取り上げてきた。
内側にしか曲がらないということは、外側には曲げることが出来ない。
無理をすれば関節の機能が壊れてしまう。つまり、腕が折れる。
では逆に、曲がる方向に動かすとどうなるか?
これは比較的容易に曲げることが出来る。

むしろ曲げられることに対して抵抗することは難しいのだ。
肘は「内側には曲げやすい」関節であると定義することが出来る。

さらに、曲げた肘の先端を相手の重心が崩れる方向に動かしていくと、追随するように腰が動く。
力自慢の屈強な相手でも、肘をコントロールすると思ったよりも簡単に動かせてしまう。
今回の「手枕」の動きはその特性を利用した形だ。

ここには大東流合気柔術にしばしばみられる「動かしたいところからできるだけ遠いところに力をかける」というセオリーが含まれるのだが、それはまた稿を改めて言及したい。