扶桑会について
指導者: 石塚嘉 【達人・名人・秘伝の師範たち】
稽古日時:日曜14時半~16時半 / 木曜19時~21時
稽古場所:神道扶桑教 世田谷太祠 東京都世田谷区松原1丁目7−20 【道場紹介】
入会希望者が参加可能な公開稽古は 12月10日(日)12時30分から14時30分まで開催します。
場所は 世田谷区総合運動場 体育館 第一武道場です。
扶桑会への入会を希望される方は 左のメールフォームよりお問い合わせください。
扶桑会のYouTubeチャンネルでは「メンバー限定動画」の配信を始めました。一般公開の動画ではカットしている口伝や、道場でしか見せないコツを取り上げています。
興味のある方は 「Aiki-Kobujutsu」チャンネルホームページ にアクセスして「メンバーになる」から購読手続きしてください!
【扶桑会がTV放送されました!】
NHKWorld「J-arena」(↑上の画像をクリックすると無料視聴できます)
【関連商品】
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【Twitter】https://twitter.com/aiki_fusoukai
【Instagram】https://www.instagram.com/aiki_kobujutsu/
【Facebook】https://fb.com/kobujutsu
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【動画解説】其の四百六十二 腰で合わせる 大東流合氣柔術 扶桑会 
今回、「ぶつからない」動きとしては非常にわかりやすい効果が見られる動きを紹介したい。
この操作法においては終始相手と力が衝突させないことが要求される。

ただ相手の動きを受け入れ、それを延長させるようにしていくことで崩しをかけ、制していくのだ。
一点、相手に対して力を加える局面がある。
その局面こそが、相手とぶつからない動きの真髄が試されるところであるといえる。
それは、こちらの胸をつかもうと伸びてきた相手の手首にこちらの両手を合わせ挟みこみ、回転させるように内側に捻る操作だ。

この時に腕の力で手首を捻ろうとすると、ぶつかりが生じる。
そうではなく、腰の回転に乗せるようにして、つまり腕の力は全く使わずに手首を操作していく。
あたかも相手の伸ばした腕に腰を合わせるように沿わせることによって、抵抗の念を催させないような柔らかく大きな力が伝達されていく。

試しに自分の腕を前に突き出しながら小指を上に向けるようにして回転させてみてほしい。
すると、脇腹から腰にかけてのラインが伸びていくのがわかるはずだ。
この崩しが、効いてくるのだ。
全身を使っておこなう「ぶつからない動き」であるからこそ、この崩しは大きな効果を生む。

はじめに攻撃を起こした者の感覚からすると、倒されるその瞬間まで自分の意思を阻まれていると思えないように。
力と力の衝突を避ける、ひたすらに柔らかい動きを目指して修練してほしい。
【動画解説】其の四百六十一 前で斬る 大東流合氣柔術 扶桑会 
初心者が古武術大東流の門を叩き、稽古を始めて間もない頃は、どうしてもそれまでに長い間慣れ親しんだ身体の使い方に固執してしまう。
その「使い方」とはどういうものか?「強引に動かす」ことだ。

今回のこの操作法でも、初心者であればるほど相手の身体を引きずりおろそうとしたり、引っ張りまわそうとしてしまう。
胸をつかみに来た人間が、そうおいそれと身体を崩して膝を屈しようとすることなど、普通は考えられない。
技をかける方にもそういう意識があるから、力ずくで何とか思うところに誘導しようとしてしまうのだ。
この動きの要諦は、相手の「攻め込もう」とする意思に抵抗しないことと言える。
始めのうちは、接触した瞬間に相手とぶつかる感覚があるだろう。
それを感知した瞬間に、ぶつかりを持続させるのではなく、相手の動きに「沿って」いくように素早く意識を変えなければならない。

稽古の仕方として、試しにその意識で相手に攻撃をさせ続けてみる。
すると必ずどこかで相手の姿勢に崩れが生じる。

その時に自分の身体が最も大きな力を発揮できるところを使って手刀の操作を行うのだ。
すなわち自分の前であり、中心である。

「力ずくで、強引に」物事を動かそうとする。自分の思う通りに現状を維持しようとする。
現代人が陥りがちな思考法を少しだけリセットして、相手のやりたいようにさせてみる。
すると、相手が自ずからバランスを失う流れが、きっと生じる。
まずはその瞬間を見出すことを念頭に初動の訓練をしてみてほしい。
其の四百三十四 引っかける 大東流合気柔術 扶桑会 
力の伝達ということについて、我々現代人はある常識に囚われてしまっているかもしれないという話をしてみたい。

西洋科学文明が世界を席巻してから、機械動力による恩恵はすさまじく、人間は「機械が発する力」について一種の信仰のような念を抱くようになっている。
いうまでもなく機械が発する力は数値化が可能である。
数値化ができるということになれば、その最大値を上げていくところに価値を見出していくのが人情というものだ。
開発が進み、新型の、より強力な機械が出現すれば、旧型で力の弱い存在は顧みられなくなる。
「数値化できる強弱の明確な力」に慣れた人間は、対人関係においても、そうした論理で物事を理解しようとする。
それが競争社会であり、経済効率を優先する合理的な行動規範を持った思考法だ。

いま、人はそんな世界の成り立ちに疲れ始めている、というのが私の見方である。
そういう時代だからこそ、古武術という考え方の出番がありうるのではないかと感じている。

今回の操作は、相手に対して「抗わない力」を使って行う。
「相手に寄り添う力」と言い換えてもいい。
現在の科学では、そうした技術は未だ完成していない。
相手の思考や全体性を感知し、さらに自分の全体性や、自分の存在する環境そのものを味方につけていく力の使い方を、機械動力が実現する日が来るのかどうか、私にはわからない。
ただ、「数値化できる強い力」で、他者に勝り圧倒する、という短絡的な価値観を超える、新しい常識を獲得するべき時が来ているはずだ。
動画の中で触れている、「最小の接触面で力を伝えていく」技法は、その一つの解法と言える。

少なくとも今この時に、人でしか感じられないセンサーを磨いていくのが、古武術を志す我々の役割ではないだろうか。
其の四百三十一 抜いて落とす 大東流合気柔術 扶桑会 
今回は強い力で胸倉をつかまれた時を想定して、大東流合気柔術ならではの身体の使い方を考察してみる。
最大のポイントは「脱力」である。

相手が強い力で攻撃してきているのに、こちらが脱力するなどというのは非常識と思われるだろう。
強い力に対して弱い力が勝るというのは物理学的にも矛盾しているように感じられるからだ。
ただし、ここでいう脱力は「弱い力」と同義ではない。
いわば種類の異なる力を使うことで、相手に意思を伝達していく。
両腕で掴まれている胸の接点をそのままに、捕り手側は腕を相手の腕の内側に差し込む。
そして相手の肘関節に対して、腕をのばすように刺激を与えていく。
この時に肩から先を充分に脱力して「腕の反し」の技法を使う。
腰および肩甲骨から腕を回転させるようにして、全身の力を指先に向けるのだ。

これは筋力で相手とぶつかるように行う操作とは異なり、「力のせめぎ合い」が生じない身体の使い方である。
肘関節が外側には曲がりやすいという特性を利用して、相手の体幹に微妙な刺激を与えるのだ。
ここで少しでも相手の身体が動いたら、押し込むのではなく、身体の重みを肘の一点に集める(重力を利用する)意識で崩しをかける。
扶桑会が標榜する「自然体での動き」が有効となる。

動画の中でも触れているように、相手が力ずくで攻撃してきている時というのは、必ずどこかに弱点(隙)ができるものである。
こちらはその力に同じ意識で対抗するのではなく、常識をずらした方法論で対峙する。
冒頭述べた通り、大東流ならではの思考法を体感できる動きであるといえるだろう。

もちろん、脱力した異種の力を発揮するということは「言うは易く行うは難し」である。
不断の鍛錬によってその極意をつかみ取ってほしい。
其の四百二十三 乗せ続ける 大東流合気柔術 扶桑会 
どのような攻撃が来た場合にあっても、大東流においては初動で我が方の有利な状態を作ってしまうことを目指す。
無論それはどのような武術においても同様であるのだが、この合気柔術という思考法が独創的であるのは、「相手に攻撃をさせ続ける」ことで、そうした優位な状況を作り上げてしまうところだ。

今回の動きでは、相手が胸をつかみに来る。
こちらとしてはその攻撃の勢いを妨げることなく、むしろより攻撃の意思を継続させるように身体を捌いていく。
これは前々回の「其の四百二十一 乗せて制する」における操作と共通するところであるが、相手の攻撃とぶつからず、相手に攻撃が届いたと錯覚させるような初動を行う。

そして次に掴みに来た小手を捕るのであるが、これも相手を崩そうと引っ張るのではなく、その精度が高まれば高まるほど柔らかく相手にからみつくような感覚で「一体となる」ことを目指す。
自分の身体操作にとどまらず、相手の意思、身体感覚に共感し、それと同一化していくとでも言おうか。

少々オカルト的な物言いに反発を覚えられる向きもあるかとは思うが、修練を重ねていく中で、初動において相手の感覚を重要視することが必要になってくる。

とっさの場合に自分の身体感覚を延長し、周囲の状況までを感じ取っていく。
それぞれの習熟の度合いに応じて、こうした「心構え」の部分にも意を用いていただきたい。
其の四百二十二 お辞儀する 大東流合気柔術 扶桑会 
前回、「其の四百二十一 乗せて制する」では胸倉をつかまれそうになった時、その直前で回避して制する動きを取り上げた。
今回は、掴まれてしまった場合にどう対処するかというところで解説してみたい。

ここでも重要になるのが「相手を乗せてしまう」という操作であるが、強くつかまれている接点に力をかけると、相手の抵抗を生んでしまう。
やはり、ぶつかることなく相手の攻撃線を外側にはずしながら、掴んできた腕に沿うようにして身体を捌く。
この時の動きの精度が高くなれば、相手は自分の腰に「乗ってしまう」。

攻撃に対して、全身を使って寄り添うように動くことが相手を無力化するのに最も効果を発揮するというところが、古武術である大東流の真髄と言える。
さらに言えば、今となっては失われつつある日本古来の考え方の高度さを表していると言えないだろうか。

身体操作的には、この後も力任せに相手を痛めつけるということではなく、全く力を入れないような意識で相手の腕に自分の手刀を「乗せる」。その状態で手首と腕を固定しながら、腰から折り曲げるようにしてお辞儀をすれば、相手はたまらず崩れ落ちる。

試みに力を込めて相手を押し込んでみても、決してそれでは倒せない。
如何に相手への対抗心を消すかがこの動きの本質である、ということを念頭において稽古していただきたい。
其の四百二十一 乗せて制する 大東流合気柔術 扶桑会 
相手の攻撃が早く、強くなればなるほど、それに対応する技は緩やかで柔らかくなければいけない。
今回の操作は、そうした大東流合気柔術の特徴をよく表すものだ。

両手で胸倉につかみかかってくる相手に対して、こちらは攻撃を受ける直前まであたかも「掴まれるのを待っている」ように自然体のまま立つ。
そして相手が前襟をつかんだと錯覚するほどの瞬間に、できるだけ緩やかに体全体を捌いて、攻撃線の外側に身体を置く。
同時に、流れるような動きで相手の掴み手を下から掬い上げるように触る。
この時相手の激しい前進の勢いを、こちらの体幹部分と接続させるような意識が必要だ。

動画内ではこれを「自分の重心の上に乗せる」と表現しているが、ここが最初の一挙動にして技の成否を決定づける操作となる。

流れるような動きが求められると書いたが、具体的にはこの操作を肩から先の動きで行っては相手とのぶつかりを生じさせてしまう。
腕を動かすのではなく、「腰を使って相手の腕を挟む」感覚と言えばよいだろうか。

腰から発する力で身体の末端を動かしていく。
これこそがいわゆる「柔らかい力の発揮」だと扶桑会では考えている。
其の四百十二 捌いて制する 大東流合気柔術 東京稽古会 
攻撃を仕掛けてきた相手を、その力に逆らうことなく制してしまう。
今回は、大東流合気柔術「小手詰」の操作法を通じて、そうした考え方を解説する。

相手の攻撃は胸取りである。足を踏み出し「なんば」の動きで胸をつかみに来る。
そこには必ず攻撃線が生じる。
その時、相手との接点に手刀で軽く触れながら攻撃線を挟むように内から外に身体を捌く。

この「軽く触れながら」というところが非常に機微なのであるが、強い力で操作してしまうと相手もまたそれに呼応するように力をぶつけてきてしまう。
あくまでその接点に手首を留めておくだけ位の心持で「小指だけをひっかけるようjに」自分の身体だけを動かしていく。

この操作によって、相手の心理的には反撃を受けたような自覚がないままに、大きな力を手首関節から肩にかけて受けることになる。
体感してみれば良く分かることであるが、相手の腕による攻撃に対して、全身の力を効率よく伝えるわけで、抗いようのない形で体の自由が奪われてしまう。

さらにこの操作には、自分の重心、すなわち地球の引力と合致した軸に相手を引き寄せ、そこに「乗せて」しまうという要素もある。
そのあたりの考え方については、また項を改めて述べることにしたい。
其の四百九 親指で引く 大東流合気柔術 東京稽古会 
今回は大東流合気柔術 初伝一カ条の肘返(ひじがえし)という形を使って手刀の使い方を解説する。
手刀を使って「引きつける」動作を行う場合、親指側、つまり手刀の峰を使うことで大きな力を発揮するという実例を見ていこう。

受け手側の攻撃は、胸取り。当然ながらこの攻撃は単発ではない。
次の一手でさらなるダメージを与えようとする意図を持っている。
この時に登場するのが親指=手刀の峰だ。
相手の腕をなでるようにして自分の胸まで親指を引き付けてくる。すると相手の胸取りの手首はぴたりと自分の身体に密着する。

これは、腕の筋肉の力で引きつけるのとはまた少し異なる強さを発揮して、相手の手首を固定してしまう。
そのうえで腰を少し前方に進めると、胸倉を掴んできだ相手はもう次の手を出すどころではなくなるのだ。

同じように相手の肘の裏に親指を当てて固定する場合にも、抗いがたい大きな力を出すことが可能になる。
手首と肘の直線を接点の上に乗せ、相手の体重が手首関節に集中することで、たまらず腰を浮かせてしまう。

正しい姿勢で脇を締め、肩甲骨を含む背中全体の力が親指に集約されることで、この「引きつける」力が出る。
この肩に限らず、様々な場面で有効な「親指で引きつける」感覚を、日常の稽古の中で修得してほしい。
其の三百八十六 胸取裏落 大東流合気柔術 東京稽古会 
自然体でいることでこそ、本来自分が持っている力を発揮できるということを、大東流合気柔術の技法を通じて体感する。
東京稽古会の修練は、そうした実感をもとに本来日本人が有していた身体感覚を取り戻すことを一つの目的にしている。

今回取り上げたこの古武術特有の動きも、その実感を得るのにとても適した操作だ。
相手が掴みかかってくる動きに対して、手刀を中心に差し出しつつ、すれちがうように側方へ捌く。
すると当然手刀が相手に接触するが、そこには意識を向けずただ自然体のまま身体を動かしていくことに集中する。

この時に相手との接点である手刀に力が入ってしまうと、相手の身体との「つながり」が切れてしまう。
現代人には感覚的に腕の力で物事を進めようとする習性があるので、どうしても最初の内はそこで滞ってしまいがちだ。

そこを乗り越え、手刀を身体全体のものとして使えたとき、つまり全身が一体となった時、相手の身体は苦も無く動く。
全身を一体化する、すなわち自然体で動くということだ。

自然体については語るべきこと、伝えたいことがまだ多く残るが、それもまたおいおい稿を改めて述べていきたい。