扶桑会について
指導者: 石塚嘉 【達人・名人・秘伝の師範たち】
稽古日時:日曜14時半~16時半 / 木曜19時~21時
稽古場所:神道扶桑教 世田谷太祠 東京都世田谷区松原1丁目7−20 【道場紹介】
入会希望者が参加可能な公開稽古は 3月21日(火・祝)14時から17時まで開催します。
場所は 高津スポーツセンター 第二武道場です。
扶桑会への入会を希望される方は 左のメールフォームよりお問い合わせください。
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稽古日時:日曜14時半~16時半 / 木曜19時~21時
稽古場所:神道扶桑教 世田谷太祠 東京都世田谷区松原1丁目7−20 【道場紹介】
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其の四百六 半座手刀詰 大東流合気柔術 東京稽古会 
手刀の使い方について様々な角度から見てきた。
今回も「手刀詰」という大東流合気柔術の動きから、東京稽古会が目指す基本の考え方を話していく。

手首を取られたときに手刀を通じて相手に力を伝達するというところは同じである。
異なるのは自分が座っている状態に対して、相手が立って攻撃してくるという点だ。
一見して体勢の低い自分が不利なように感じるのは自然な反応だが、そうではない。
相手の体勢の崩れを利用して、自分の重心の上に「乗せてしまう」ことによって無力化できると捉えるのだ。

この時に効力を発揮するのが「手刀」である。
小指側、すなわち「刃」の方を相手に向けて斬り上げる。これは前回までと同様だ。

今度は相手より明らかに自分の重心の位置が低いために、相手を押し返してしまいたくなるが、そうではない。
肘を前に出すような感覚で、斬り上げた手刀の先をやや自分の方に向けるようにする。
こうすると、相手の身体が自分の手刀を通じて腰の上に「乗ってくる」のが感じられるはずだ。

腰に乗せてしまったら、その先はその重みをコントロールするように動く。
決して肩から先の「腕力」を使って操作してはいけない。
次回はその先の動きについて改めて述べてみたい。
其の四百五 手刀で崩す 大東流合気柔術 東京稽古会 
さて、前回から大東流合気柔術における「手刀」というものの捉え方について詳しく見てきた。
今回は実際にそれを運用していく。

動画は「手刀詰」という操作であるが、この動きは相手がつかんできた手首を柔らかく握らせたままにしておいて、そのうえで手刀を使って斬り込んでいく。
この時に重要なのが相手に自分の手刀の「刃」を向けていることだ。
初心の修行者ほど、力で押し込もうとして掌を向けたり、腕の力で持ち上げようとして手の甲で押し上げようとすることが多い。

引き続き述べている通り、それでは手刀は効果的に力を発揮しないのだ。

自分の中心から相手に向けて、手刀の「刃」の部分、すなわち小指、尺骨の側を正確に向ける。
そうすれば自ずと、親指側は自分の方を向く。
手刀における刃と峰が「縦の関係」となっていることに合点がいくと思う。

「剣の理合」と言い伝えられる通り、刀をもって斬り込む意識をもって修練してほしい。
其の四百四 刃と峰 大東流合気柔術 東京稽古会 
「手刀」とは人体である腕、なかんづくその手の先を「剣」に見立てて運用する大東流合気柔術に特徴的な思考法だ。
これをもってその技術体系を「剣の理合に基づく」と説明されることもある。

手刀は「剣」である以上、鋭利な刃の部分と、その裏側にあって強度を担う峰の部分を持つ。
人体においてはそれぞれ手の小指側、親指側に相当する部分である。
前腕部分では刃が尺骨、峰が橈骨にあたる。
刀(剣)においては当然、鋭利な刃の部分を使うのが一般的である。
同じように手刀においても小指側、尺骨側を用いて操作することが、力を効率的に伝えるには有利である。
もちろん、状況によって峰の部分を活用することで効果を上げることもあるのだが、ここでは「斬れる」のは小指、尺骨の方であることに留意していただきたい。

今、ここで自分の手を手刀の形に開き、柔らかく伸ばし構えたところを見ると、刃と峰は上下の線の上に並んでいるはずだ。
つまり「縦の関係」である。

これに対して掌と手の甲の部分は側面を向いている。
これは剣においてもその側面、「鎬(しのぎ)」と呼ばれる部分である。
人は日常の身体運用で、どうしても掌で押したり、握ったりということが多いため、この部分を使うことに囚われてしまいがちだ。

大東流合気柔術では、手刀の考え方をもって、小指側(尺骨側)を主に用いる。
初心者が戸惑いがちなところではあるが、この身体運用の感覚の転換が、古武術修行においては必要になるのだ。
其の四百三 手刀の基本 大東流合気柔術 東京稽古会 
今回から数回にわたって取り上げるのは「手刀の使い方」というテーマである。

大東流合気柔術は「剣の理合」をもとにした体術であるとよく言われる。
その理合を最もよく体現しているのが、己の身体を「手刀」として操作する思考法だ。
まず、今回の動きでは手首をつかまれた際に手の先端を柔らかく開き、手刀を形作る。
この時上半身が硬直していては、力のある手刀とはならない。

自らの下丹田を発した力が指先まで満ち満ちて、さらにその先まで迸り出るような意識をもつことが重要である。
さらに肩から先をのびやかに使い、手首が曲がらないようにすることも肝要だ。

つまり、「腕を刀そのものであるように認識する」ことができるか?それが、手刀の使い方として最初に問われるのだ。
かくして手刀を作ることができたら、その手刀を全身の連動とともに外旋させ、相手の手首に斬り込むようにして腰を崩していく。

腰の崩しについてはこの動画では詳しくは触れなかったが、肘を出させる、腰に斬り込む、などいくつかの口伝がある。
それはまた、項を改めて述べることとしたい。
其の三百九十五 中心で攻める 大東流合気柔術 東京稽古会 
両方の手刀を合わせて(合掌して)自分の中心の力を発揮する考え方を、数回にわたって取り上げてきた。
今回はその応用を紹介する。

動きとしては大東流合気柔術の四方投ということになるが、最後を投げ落とさず、立極めにしてしまう。
これは実際にやってみればわかることではあるが、立った状態で固め続けるには、腕の力を使っていては難しい。
少なくとも数秒間の間、相手の自由を奪うためには、部分的な身体の出力では維持できないのだ。

動画を見て感じ取られる方がいるかもしれないが、立極めに捕っている間、捕り手側は小指を受けての母指球にひっかけているだけである。
このことによって、手首や腕の筋力ではない、中心からの力が発揮される。

さらに、合掌こそしていないものの、相手との接点にある手刀の位置が自分の中心線の上にあり続けていることに注目していただきたい。

足の捌きや、180度転換など、さまざまに体は動くために分かりにくいかもしれないが、相手との接点は常に自分の中心にある。
合掌によって中心の感覚を知ることでより精度の高い操作となるよう、修練してほしい。
其の三百九十二 半身投 大東流合気柔術 東京稽古会 
初伝一カ条「半身投」。
これは立って攻撃してくる相手に対して自分は座ったまま、崩し、制する。
まことに不思議に聞こえる操作であるが、これもまた、正しい理合いに則れば可能になる。

むしろ、自分が座った体勢でいることが有利に働くという思考法をとるのが大東流合気柔術の真髄である。
相手は座った状態のこちらに対して片手をつかみ上げ、上方から制しようとして攻撃をかけてくる。
こちらはそれに対して手刀を立て、相手の肩を詰めるように斬り上げる。

この時に手刀を使う我が方の姿勢が前傾すると、相手は簡単にこちらをねじ伏せてしまうだろう。

そうではなく、自然体を崩すことなく相手に対応することで、この不利と思われる体勢から相手に抗しがたい力を伝達していく。
実際に体感してもらえば理解できるはずだが、相手方は握った手首を離せなくなり、こちらの手刀の操作に従わざるを得なくなる。

むろん手刀の脱力や、中心力を発揮して相手を誘導する技術など、複合的に求められる要素は数多くあり、複雑な連動が必要となる形ではあるが、その根幹に位置する考え方が自然体の維持であることは銘記しておかれたい。
其の三百八十九 三つの丹田 大東流合気柔術 東京稽古会 
自由落下する物体はただその重みに身を任せることによって、最大の速度を発生する。
落下する速度はすなわちエネルギーだ。
そうであるなら、落下さえすれば自分が何ら動くことも必要とせず、ただ重力に従うだけで自重というエネルギーを使うことができる。

この動画で示したように、手をつかまれたとき、その接点に自重を最も効率よく作用させる方法がこの身体操作である。
地球は球体であるから、必然的にその中心に対して引力が向かっていく。
引力の方向に自分の重みを乗せきることができたら、自分はただ自由落下しているような状態でありながら、掴んでいる相手には非常に大きな力がかかっていく。

これは大変理にかなった効率的な体の使い方であり、日本古武術らしい考え方といえる。
だが同時に、地球の中心に向かって、自分にかかる重みに身を任せるということが、なかなかに難しい。

そのための修練法として、上・中・下、三つの丹田を丹田を意識し、それらを一直線上に乗せたまま動いてみるのだ。
上半身を天井から吊り下げられたと仮想して地球の中心に伸びる引力の線と、三つの丹田を合致させる。

これから数回にわたって、この思考法に則った身体操作をお伝えしていく。
皆さんの修行の参考にしていただければ、幸いである。
其の三百七十八 七里引 大東流合気柔術 東京稽古会 
局所を攻めることで、全身を制してしまう場面を古武術の神秘的なイメージとして想像する向きも多いことだろう。

大東流合気柔術の七里引という形はまさにそうしたイメージに合致する動きだ。
手首をひねる(ように見える)だけで、相手は身動きが取れなくなってしまう。
ただしこの動きは、手首だけ、肘だけを痛めつければ成功するわけではない。
外見上そう見えるかもしれないが、攻めているのは相手の体幹部分、すなわち腰である。

動画にあるように相手の腰が盤石な状態で技をかけても、ほとんど効果がない。
肘を逆関節に捕ることで生じる痛みはあるかもしれないが、それは激しく抵抗されるか、回避されて終わるレベルのものだ。

初動で相手の腰を自分の中心にのせてしまい、つま先立ちにして無力化したところを攻める。
それが出j来てはじめて、手首のひねりと肘関節の固めが威力を発揮してくるのだ。

せめぎ合っている接点よりも、その向こうにある本体を意識する。
これも古武術が内包する、奥深い知恵であると感じる。
其の三百七十七、取られる/取らせる 大東流合気柔術 東京稽古会 
自分の力を十分に発揮して、かつ相手の力はそうさせない。
武術に限らずあらゆる競技や交渉ごとにおいて、これが可能になれば達人と称されるだろう。

そのために重要なのは相手が仕掛けてくる「攻撃の受け方」だ。
今回は片手取りを例にして考えてみる。
大東流合気柔術の思考法として、中心の力を活かすということが必須である。
片手を取りに来る相手は人体の構造上、片足を踏み出して手を伸ばしてくる。

その踏み出した足の延長線上にいて攻撃を受けると、相手の中心の力は十分に生かされてしまう。
自分がその攻撃線から外れる位置に立って受けることもできるが、別の考え方もできる。

相手が取りに来る接点、つまり自分の手首を少しだけその攻撃線からずらすのだ。
もちろん小手先の動きになっては相手を上手に欺くことはできない。
微妙に全身を連動させて手首の位置を変えるのだが、ただこのようにするだけで相手は力を出せず、自分は比較的有利に事を運ぶことができる。

とはいえ、この操作は達意の人となるための極めて初歩の一段階であり、これをもって訓練を行うべきものに過ぎない。
基本的な操作法を身につけたうえで、起こりうる様々な状況に対応する術を導き出していってほしい。
其の三百七十六 掴む/開く 大東流合気柔術 東京稽古会 
片手取は大東流合気柔術の形稽古の中でも頻出する攻撃方法だが、単純なように見えて奥の深い動きでもある。
その基本的な操作について考えてみる。

手首を握ることによって相手の全身を制するのが片手取りの目的であるから、局所への入力を通じて全体に影響を及ぼさねばならない。
ただ手首だけを痛めつければ良いという言わけではない。
初心のころはそれが理解できないために、握力を込めて手首を懸命に掴もうとしがちだが、これはかえって逆効果で、相手の身体の体幹部分には全く力が伝わっていかない。

むしろ握力は使わずに、小指を締めるようにして手刀を効かせる必要がある。
ここでは剣の柄を握るような意識をもって操作することが重要だ。
すなわち、相手の手首が剣の柄で、相手の肩が剣の切っ先と仮想して、片手取りを行う。
そしてその剣が斬り込む先は、相手の体幹部分である。

同じく、その片手取りに対抗する操作も、手刀を開き、全身の力を使って相手の肩先から体幹部分に向けて斬り込む意識によって完遂される。

局所から全体へ。全体を制するには自らの全体をもって対すること。
この思考法の根幹に、剣の理合が明確に含まれていることも古武術の奥深さを示しているように感じられる。