大東流合気柔術 東京稽古会スケジュール
次の本稽古は 1月24日(日)14時00分から17時00分まで
開催場所は 世田谷区総合運動場 体育館 第一武道場です。
通常稽古は毎週木曜・日曜(または祝日)に開催しています。通常稽古は会員限定です。
東京稽古会への参加を希望の方は 左のメールフォームよりお問い合わせください。
開催場所は 世田谷区総合運動場 体育館 第一武道場です。
通常稽古は毎週木曜・日曜(または祝日)に開催しています。通常稽古は会員限定です。
東京稽古会への参加を希望の方は 左のメールフォームよりお問い合わせください。
其の三百二十四 乗せる 大東流合気柔術 東京稽古会 
大東流に伝わる「脱力」の考え方を、継続して取り上げてきた。
今回は若干複雑になるが、これをつかった動きに挑戦してみよう。

見た目にも、相手の身体を自在に操っているので、これを「合気」と呼ぶ人もいるかもしれない。
合気の概念については、私自身未だ研究の途上であり、高段から論じるほどの力はないが、いわゆるスピードとパワーによるアスリートの技術とは一線を画すことは実感として理解している。
今回も重要なのは手刀の使い方だ。
これを筋力をもって操作してしまうと、たちまち相手との「つながり」が切れてしまう。

伸びやかに、柔らかく手刀を活かし、かつ脱力することによって相手の接点に触れ続けることで、絡みつくような状態を作る。
こうして自らの腰に相手の身体を乗せてしまう感覚をとれるように稽古することが肝心なところだ。

正しい姿勢で相手の手首の上に自分の手刀を乗せる。
次にはそのようにしてつながった相手の身体を自分の腰の上に乗せたまま操作する。

言葉で説明できる部分には限界があり、もどかしい。
興味のある方は稽古で実際にこの古武術独特の感覚に触れてみてほしい。
其の三百二十三 斬り崩す 大東流合気柔術 東京稽古会 
今回も古武術における「脱力」について一項を割いてみたい。

相手が両手首を掴んでいる状態を打開するために、大東流では手刀を活かすという操作を用いる。
そのことで、自ら腕を脱力した状態にしてしまう。
脱力が出来ると、攻撃に臨んだ相手は、その力の方向をみうしなってしまう。
少なくとも「つかみどころがない」という状態に一時的にではあっても陥る。

この時、相手に対して筋力をもって入力をしてしまうと、たちまち相手の攻撃は息を吹き返す。
そのため、次の動作でも腕は脱力した状態でなければならない。

脱力し、全身を連動させることで可能な限り身体の中心から出力していく意識が必要になる。
手刀、すなわち相手との接点については、力の放出口、ただの末端であると心得る。

その手刀で、相手の身体を撫で斬るようにすることで、今回の動きは目的を達するのだ。
其の三百二十 両手取小手返 大東流合気柔術 東京稽古会 
古武術においては初動が肝心だ。稽古の中で常に話しているし、このブログでも何度か取り上げてきた。

一言で初動といってもいささかあいまいな概念だが、大東流合気柔術では相手の攻撃を受ける直前から受けた直後、どういう体勢を取り、かつ動くかというところが、そのポイントとなる。
この両手取の小手返も、その一挙動によって技全体の効力に大きな差が生まれる。
すなわち、両手首を捕られ、押し込まれた瞬間にそれをどう受け止めるか。
上半身の力で、反発するように相手に対してしまうと、大きく崩すことは出来ない。

力のぶつかり合いをせず、相手の体幹部分をコントロールするためには、手刀の使い方を知らなければならない。
姿勢を維持し、相手の身体の重心を自分の腰の上に乗せていくような感覚で力を伝えていく。

初動によってこの体勢を整えられると、相手は自ら掴んで自由を奪ったはずの手首に絡めとられるように、身動きが取れなくなる。
ここに、大東流合気柔術の妙味がある。

この動画にその一端を見せたように、脱力して、力の方向を意識する鍛練が必要だ。
そうした技の成り立ちから丁寧に理解したうえで稽古することを心がけたい。
其の三百十九 握る 大東流合気柔術 東京稽古会 
大東流合気柔術は、いわゆる膂力(りょりょく)を用いておこなう武術ではない、という実例を再三取り上げてきた。
今回扱うこの操作法も、またその一つの例だ。

相手に掴まれた両手首を反し、掴ませたまま握り返す。
そうすることで相手は腰から崩れ、無力化してしまう。
この時に必要なことは、腕の筋肉でもなければ、体重の差による圧力でもない。
小指の締めを効かせることだ。

何度か言及している通り、小指は比較的弱い器官であるが、そのために全身の力を伝えることに適している。
この操作でも、親指で上からのしかかってしまうと相手は微動だにしない。
腕の筋力による出力は、ほとんど効果がないのだ。

ただし、小指の締めは、握力を使ってしまうと結局、腕力の一作用でしかなくなってしまう。
全身の動きを伝えるためには、脱力した上での操作が不可欠となる。

さらには、姿勢、手刀、関節の詰めなど、単純な操作ではあるが、そこには古武術としての極意が隠されている。
文章や映像である程度の紹介をすることは可能だが、その先はやはり、個々人が継続的な修練によって会得し、磨いていくしかないだろう。
其の三百十八、合気上 大東流合気柔術 東京稽古会 
大東流修行者の関心が高い「合気上」鍛錬法について一項を割いてみる。

合気柔術の操作法には、その様態や考え方などを簡潔にあらわした名がつけられていることが多い。
ただ、その名に惑わされて技術の本質をつかむまでに遠回りするようなこともまた、多々ある。
この「合気上」に初めて触れる修行者は、その名の通り、相手を両の腕で持ち上げることをイメージしてしまいがちだ。
それも「合気」という摩訶不思議なものを介在させて。

もちろん、外観上は術者によって受手の身体が持ち上げられているように見える。
だからと言って、腕の力を使って物理的に「上げ」ようとすると、大きな壁にぶつかってしまう。
初心者には、往々にして越えるのに年月を費やす壁だ。

そうならないために、一度「合気上」という言葉の持つ語感をリセットして、無心になって技を受けてみることをお勧めする。
大事なことは体幹の力を使うことと、そのために正しい姿勢を保つことだ。

動画の中で再三言及している言葉が、「合気上」の壁を乗り越えるヒントになる。
稽古会では、既存の概念にとらわれない、本質を見抜く修練を目指していきたい。