扶桑会について
指導者: 石塚嘉 【達人・名人・秘伝の師範たち】
稽古日時:日曜14時半~16時半 / 木曜19時~21時
稽古場所:神道扶桑教 世田谷太祠 東京都世田谷区松原1丁目7−20 【道場紹介】
入会希望者が参加可能な公開稽古は 3月21日(火・祝)14時から17時まで開催します。
場所は 高津スポーツセンター 第二武道場です。
扶桑会への入会を希望される方は 左のメールフォームよりお問い合わせください。
【関連商品】扶桑会DVD「柔(やわら)の力の完成」←Amazonへリンク
稽古日時:日曜14時半~16時半 / 木曜19時~21時
稽古場所:神道扶桑教 世田谷太祠 東京都世田谷区松原1丁目7−20 【道場紹介】
入会希望者が参加可能な公開稽古は 3月21日(火・祝)14時から17時まで開催します。
場所は 高津スポーツセンター 第二武道場です。
扶桑会への入会を希望される方は 左のメールフォームよりお問い合わせください。
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其の二十七、手首の柔軟(一) 
大東流合気柔術の技は、そのほとんどが手を使って「崩し」をかけていきます。
(達人と言われる方々はその限りではないのでしょうが・・・)
なので、手首を自由自在に動かせるようにしておくことがとても大事なのです。

柔術というのは、柔らかく、絡みつくように行う術だと教わったことがあります。
もちろん全身を柔らかく使え、という教えなのでしょうが、とりわけ肩、手首など関節の可動域を広げていくことは重要です。
今回は、道場の基本稽古で行っている手首の柔軟体操を紹介します。
<「手首の柔軟(一)」動画は上の画像をクリック!>
鎌手詰(かまてづめ) : 手を農具の「鎌」の形にします。その手の甲をもう一方の手で包むようにして、ゆっくり息を吐きながら曲げられるところまで曲げます。
脇を締めて行います。
小手返し : 掌を上に向け、両手を重ねます。下の手の小指、薬指、中指で上の手の母子丘を掴み、下の手の親指を上の手の甲、小指と薬指の付け根にあてます。
そのまま、指を立てるようにしてひねります。小手(肘から手首まで)をねじる体操です。

最初は、慣れない痛みでブルーになるかもしれませんが、くじけてはいけません。
柔軟体操ですので、無理をせずに、筋肉を硬直させないようにやりましょう。
(達人と言われる方々はその限りではないのでしょうが・・・)
なので、手首を自由自在に動かせるようにしておくことがとても大事なのです。

柔術というのは、柔らかく、絡みつくように行う術だと教わったことがあります。
もちろん全身を柔らかく使え、という教えなのでしょうが、とりわけ肩、手首など関節の可動域を広げていくことは重要です。
今回は、道場の基本稽古で行っている手首の柔軟体操を紹介します。
<「手首の柔軟(一)」動画は上の画像をクリック!>
鎌手詰(かまてづめ) : 手を農具の「鎌」の形にします。その手の甲をもう一方の手で包むようにして、ゆっくり息を吐きながら曲げられるところまで曲げます。
脇を締めて行います。
小手返し : 掌を上に向け、両手を重ねます。下の手の小指、薬指、中指で上の手の母子丘を掴み、下の手の親指を上の手の甲、小指と薬指の付け根にあてます。
そのまま、指を立てるようにしてひねります。小手(肘から手首まで)をねじる体操です。

最初は、慣れない痛みでブルーになるかもしれませんが、くじけてはいけません。
柔軟体操ですので、無理をせずに、筋肉を硬直させないようにやりましょう。
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其の二十六、立合中段突 
「立合」は双方立った状態で技を行うこと、「中段突き」は受け(技をかけられる方)の攻撃方法を指します。
相手の突きを捌いて、すれ違うように入身。相手の手首を柔らかく持ち、そのまま剣(というか杖、または棒)を突き下げるように相手を制します。

力を入れるとうまくかからない不思議な技ですが、これまで稽古してきた基本動作を素直に行えば、自ずと相手は崩れます。
<「立合中段突」動画は上の画像をクリック!>
技としては特に名前はありません。
大東流は何千種類ともいわれる技の体系を持っていますが、もともと戦場での命のやり取りを想定して作り上げられた古武術ですので、技は相手の出方や状況によって千変万化します。ですから名前がついていない技の派生形が数えきれないほど存在するのです。
因みに、現在大東流として行われている技の名前は、主に武田惣角師の三男である武田時宗先生が整理されたといわれています。
時宗先生ありがとう。

初心の修行者にとって、技に名前がついていると頭の中でイメージしやすいんですよね。
同時に、技の名前や型にこだわらないで稽古出来なアカンな~とも思うのですが。
相手の突きを捌いて、すれ違うように入身。相手の手首を柔らかく持ち、そのまま剣(というか杖、または棒)を突き下げるように相手を制します。

力を入れるとうまくかからない不思議な技ですが、これまで稽古してきた基本動作を素直に行えば、自ずと相手は崩れます。
<「立合中段突」動画は上の画像をクリック!>
技としては特に名前はありません。
大東流は何千種類ともいわれる技の体系を持っていますが、もともと戦場での命のやり取りを想定して作り上げられた古武術ですので、技は相手の出方や状況によって千変万化します。ですから名前がついていない技の派生形が数えきれないほど存在するのです。
因みに、現在大東流として行われている技の名前は、主に武田惣角師の三男である武田時宗先生が整理されたといわれています。
時宗先生ありがとう。

初心の修行者にとって、技に名前がついていると頭の中でイメージしやすいんですよね。
同時に、技の名前や型にこだわらないで稽古出来なアカンな~とも思うのですが。
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其の二十五、小手詰 
「小手詰」です。
正面打ちを受けて捌き、相手の小手(肘から手首まで)を両手でとって肘、肩を詰めるように崩します。

「正面打」の受け、「体の開き」など、これまでに学んだ動きが複合的に作用して技となります。
小手を詰める際には手先で行わず、身体の中心から出る力を接点に作用させる意識が必要です。
<「小手詰」動画は上の画像をクリック!>
これも、どこまで手先の力だけでなく全身を使って技に出来るかが試されます。
また相手の手首をとって詰めるのですが、作用させる部位が小さいだけに、どうしてもそこに「こだわって」しまいます。
大東流ではこの「こだわる」があるとうまくいかないことが多いんです。
手首を詰めるのではなく、相手の身体全体を崩す意識。
部分ではなく「全体」を見る。
己を空(むな)しゅうして、宇宙に没入する(?)。

ほとんど禅とか東洋思想の世界です。
※諸般の事情により、動画は限定公開とさせていただきます。ご了承ください。
正面打ちを受けて捌き、相手の小手(肘から手首まで)を両手でとって肘、肩を詰めるように崩します。

「正面打」の受け、「体の開き」など、これまでに学んだ動きが複合的に作用して技となります。
小手を詰める際には手先で行わず、身体の中心から出る力を接点に作用させる意識が必要です。
<「小手詰」動画は上の画像をクリック!>
これも、どこまで手先の力だけでなく全身を使って技に出来るかが試されます。
また相手の手首をとって詰めるのですが、作用させる部位が小さいだけに、どうしてもそこに「こだわって」しまいます。
大東流ではこの「こだわる」があるとうまくいかないことが多いんです。
手首を詰めるのではなく、相手の身体全体を崩す意識。
部分ではなく「全体」を見る。
己を空(むな)しゅうして、宇宙に没入する(?)。

ほとんど禅とか東洋思想の世界です。
※諸般の事情により、動画は限定公開とさせていただきます。ご了承ください。
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其の二十四、ついていく 
肩を掴みに来た相手の腕を、まっすぐ下に落とします。肘を固定するように詰めながら、身体を開いて相手を崩します。

相手の動きをよく見て、無理することなくそれに追随するようにします。
自分の姿勢は保ったまま、決して手先で相手を操作しないこと。全身を一体化させて相手の動きについていくと、相手は自然と崩れていく、不思議な身体操法です。
<「ついていく」の動画は上の画像をクリック!>
この日の稽古会、個人的にはこの動きが一番面白くて興味深いものでした。
言い換えると一番難しかったんです。
だからこそ出来るようになりたい!と思えるものでした。
試行錯誤しながら思ったのは「掴みに来る相手の動きを利用して、手を下に落とす」。相手と呼吸を合わせるというか、相手の呼吸を外して引っ張り込むというか。
(そのためにここでは「掛け手」という技法を使っているのですが、長くなるのでまた後日書きます)
結局、稽古時間内にはピンとくるところまではいけませんでした。
後日先生にお聞きしたところでは「小指の遣い」が重要だそうです。また、あくまでも「相手の動きをよく見て、ついていくことが大事」とも言われました。
うーん、わからん。でも何時かはモノにしたいと思ってますよ。
そういう風に、自分の理解や身体感覚を超えるものに挑戦して克服していくなんてことは、日々生きていくなかで滅多に出会えないものです。
大東流の稽古をする、その醍醐味がここにあります。

相手の動きをよく見て、無理することなくそれに追随するようにします。
自分の姿勢は保ったまま、決して手先で相手を操作しないこと。全身を一体化させて相手の動きについていくと、相手は自然と崩れていく、不思議な身体操法です。
<「ついていく」の動画は上の画像をクリック!>
この日の稽古会、個人的にはこの動きが一番面白くて興味深いものでした。
言い換えると一番難しかったんです。
だからこそ出来るようになりたい!と思えるものでした。
試行錯誤しながら思ったのは「掴みに来る相手の動きを利用して、手を下に落とす」。相手と呼吸を合わせるというか、相手の呼吸を外して引っ張り込むというか。
(そのためにここでは「掛け手」という技法を使っているのですが、長くなるのでまた後日書きます)
結局、稽古時間内にはピンとくるところまではいけませんでした。
後日先生にお聞きしたところでは「小指の遣い」が重要だそうです。また、あくまでも「相手の動きをよく見て、ついていくことが大事」とも言われました。
うーん、わからん。でも何時かはモノにしたいと思ってますよ。
そういう風に、自分の理解や身体感覚を超えるものに挑戦して克服していくなんてことは、日々生きていくなかで滅多に出会えないものです。
大東流の稽古をする、その醍醐味がここにあります。
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其の二十三、身体を開く 
これ、一本捕の変形技です。
正面打ちを受け、捌いて当て身を入れます。受けた手刀を斬りおろして相手を崩しますが、そのとき身体を開いてさらに相手を導いて逆腕に(相手の掌を上にして)手首をつかむのが、通常の一本捕と異なるところです。
「なんば歩き」と同様に、上下半身をバラバラに使うのではなく一体にして操作します。手先、足先で相手を動かそうとしていては技が成立しないことが体感できます。
中でも大事なことは自分の身体の中心で操作することです。
先生が常におっしゃるように、手先だけ足だけでやらないこと。これだけでも技の中身が大きく変わってきます。
さて、ここからは私の妄想です。
「合掌」という習慣は、神道や仏教の礼拝の仕草です。キリスト教でも祈るとき両手を胸の前で組みますよね。
昔の人にとって、神や仏に対するとき、自分が最も「正しいかたち」になることは至極当然のふるまいだったでしょう。文化を問わず、神仏の前で「合掌」が「正しいかたち」として古くから認められていたと推察されます。

ためしに、「いただきます」の形で手を合わせてください。自然と姿勢がまっすぐ伸びるでしょ。そして、なんとなく身体の中心が意識されませんか?
つまり、身体の中心で物事を行うことに深い意味があると、我々の祖先たちは知っていたのではないでしょうか?
その知恵が、古武術の身体操作法の中にも保存されているのだと、私には思えるのです。
正面打ちを受け、捌いて当て身を入れます。受けた手刀を斬りおろして相手を崩しますが、そのとき身体を開いてさらに相手を導いて逆腕に(相手の掌を上にして)手首をつかむのが、通常の一本捕と異なるところです。
「なんば歩き」と同様に、上下半身をバラバラに使うのではなく一体にして操作します。手先、足先で相手を動かそうとしていては技が成立しないことが体感できます。
中でも大事なことは自分の身体の中心で操作することです。
先生が常におっしゃるように、手先だけ足だけでやらないこと。これだけでも技の中身が大きく変わってきます。
さて、ここからは私の妄想です。
「合掌」という習慣は、神道や仏教の礼拝の仕草です。キリスト教でも祈るとき両手を胸の前で組みますよね。
昔の人にとって、神や仏に対するとき、自分が最も「正しいかたち」になることは至極当然のふるまいだったでしょう。文化を問わず、神仏の前で「合掌」が「正しいかたち」として古くから認められていたと推察されます。

ためしに、「いただきます」の形で手を合わせてください。自然と姿勢がまっすぐ伸びるでしょ。そして、なんとなく身体の中心が意識されませんか?
つまり、身体の中心で物事を行うことに深い意味があると、我々の祖先たちは知っていたのではないでしょうか?
その知恵が、古武術の身体操作法の中にも保存されているのだと、私には思えるのです。
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其の二十二、正面打 
大東流の型稽古では、自分に向けられた攻撃に対応して動くことから技が始まることがほとんどです。
攻撃には打つ、掴む、突く、絞めるなどたくさんのバリエーションがありますが、「正面打」はその中の一つです。
大東流は剣の理合が元になっている武術です。実際に刀は持ちませんが、剣を使う意識で技を行います。
ですからこの正面打ちも、剣で相手の正中線を断ち斬る心構えが肝要です。
ここで少しお勉強を。
大東流合気柔術中興の祖といわれる武田惣角先生は、幼少のころに小野派一刀流を修め、幕末の剣豪として名高い榊原健吉から直心真影流の免許を受けたほどの剣の達人でした。

その後、合気の術、空手、軽業、槍、手裏剣、果ては修験道での密教修行まで追求しまくり、現在の大東流の巨大な技の体系を築きあげられたそうです。
そんな惣角師は晩年、昭和になっても、短刀を抜き身で帯に手挟んで往来を歩いていたといいますから、かなりブッ飛んだ人だったことは間違いありません。

でも、そのおかげで大東流が現在このような形で残っているわけです。仰げば尊し。
攻撃には打つ、掴む、突く、絞めるなどたくさんのバリエーションがありますが、「正面打」はその中の一つです。
大東流は剣の理合が元になっている武術です。実際に刀は持ちませんが、剣を使う意識で技を行います。
ですからこの正面打ちも、剣で相手の正中線を断ち斬る心構えが肝要です。
ここで少しお勉強を。
大東流合気柔術中興の祖といわれる武田惣角先生は、幼少のころに小野派一刀流を修め、幕末の剣豪として名高い榊原健吉から直心真影流の免許を受けたほどの剣の達人でした。

その後、合気の術、空手、軽業、槍、手裏剣、果ては修験道での密教修行まで追求しまくり、現在の大東流の巨大な技の体系を築きあげられたそうです。
そんな惣角師は晩年、昭和になっても、短刀を抜き身で帯に手挟んで往来を歩いていたといいますから、かなりブッ飛んだ人だったことは間違いありません。

でも、そのおかげで大東流が現在このような形で残っているわけです。仰げば尊し。
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其の二十一、合気上 
恥ずかしい話なのですが。
大東流を修行して数年経ちますが、「合気上」のことは未だに良く分かりません。

正座で向かい合い、膝に置いた手首を相手にしっかりと押さえつけられた状態から、逆に相手を崩して、押さえつける。これが、道場でやっている「合気上」の稽古です。
瞬間的に出来たと思えることはあっても、すぐにその方法では通用しなくなってしまいます。いつまで試行錯誤が続くのかと、稽古のたびに途方に暮れています。
そんな「合気上」、先生が言うにはすべての技に通じる重要技法であり、合気柔術の核心に迫るための鍛練法だそうです。ホント、途方にくれます。
身体に力を入れず、指先から力を出すこと。腕で持ち上げるのではなく、肘、腰、腹など、身体の全部をまとめて使うこと。相手の力を吸い込むようにして、その力の方向を導き変えてやること。
今まで教わってきたことはそれこそ山のようにあるのですが、どれも身体に記憶しきれないままです。
というか、上げようと思ってはいけないと教わることもあります。力任せでも、上がればええんや、と言われることもあります。どうしようもなかったら、頭突き入れたり、足で当身入れろ、とけしかけられることすらあります(入れませんけど)。
アタマ、混乱するでしょ。
でも、考えてみれば「合気上」は技に入るための方法に過ぎないわけです。要は相手が崩れればいいのであって、これ自体が技ではないのだから。
「いかにして上げるか」に固執しているから、うまくいかないのかも知れません。

見よ!この方の合気上げ。佐川幸義先生です。エライことになってます。
屁理屈を言ってごまかしてますが、やっぱり、出来るようになりたい!ですね。
毎日稽古できると、いいんですけどね。
大東流を修行して数年経ちますが、「合気上」のことは未だに良く分かりません。

正座で向かい合い、膝に置いた手首を相手にしっかりと押さえつけられた状態から、逆に相手を崩して、押さえつける。これが、道場でやっている「合気上」の稽古です。
瞬間的に出来たと思えることはあっても、すぐにその方法では通用しなくなってしまいます。いつまで試行錯誤が続くのかと、稽古のたびに途方に暮れています。
そんな「合気上」、先生が言うにはすべての技に通じる重要技法であり、合気柔術の核心に迫るための鍛練法だそうです。ホント、途方にくれます。
身体に力を入れず、指先から力を出すこと。腕で持ち上げるのではなく、肘、腰、腹など、身体の全部をまとめて使うこと。相手の力を吸い込むようにして、その力の方向を導き変えてやること。
今まで教わってきたことはそれこそ山のようにあるのですが、どれも身体に記憶しきれないままです。
というか、上げようと思ってはいけないと教わることもあります。力任せでも、上がればええんや、と言われることもあります。どうしようもなかったら、頭突き入れたり、足で当身入れろ、とけしかけられることすらあります(入れませんけど)。
アタマ、混乱するでしょ。
でも、考えてみれば「合気上」は技に入るための方法に過ぎないわけです。要は相手が崩れればいいのであって、これ自体が技ではないのだから。
「いかにして上げるか」に固執しているから、うまくいかないのかも知れません。

見よ!この方の合気上げ。佐川幸義先生です。エライことになってます。
屁理屈を言ってごまかしてますが、やっぱり、出来るようになりたい!ですね。
毎日稽古できると、いいんですけどね。
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其の二十、なんば 
ひねり、捻じる動きをせず、肩と腰を同時に前に進める動き。これを「なんば(歩き)」と言います。
稽古では、皆さん戸惑いながら動いていましたね。小さい頃ふざけてロボットの真似をして遊んだ時みたいになっている人もいました。
現代人には意識しないと出来ない不思議な身体操法ですが、昔の日本人は、腕を振らずに歩く、この動き方が基本でした。着物(和服)の特性上、着くずれしないように歩くと自然とそうなったという説もありますが、古武術的にいうならば体軸をぶれさせさずに歩くことで「疲れにくく、力を出しやすい」ことが、最大の理由だと思われます。
明治維新後、国民皆兵となったころ、欧米の軍事教官が日本兵に「駆け足」を命じたところ、ほとんどの者が走ることができなかったという話もあります。
身体をねじるように手足を交互に動かす「行進」も、このころになって「輸入された」身体操法だそうです。
で、日本の誇る長距離ランナー「飛脚」の写真を見ていたら・・・

なんばで走ってる!!

100年ほど昔、現代とは逆転した身体感覚で生きていた日本人がいたわけです。
身体の使い方を考える上で、興味深い話だと思いませんか。
稽古では、皆さん戸惑いながら動いていましたね。小さい頃ふざけてロボットの真似をして遊んだ時みたいになっている人もいました。
現代人には意識しないと出来ない不思議な身体操法ですが、昔の日本人は、腕を振らずに歩く、この動き方が基本でした。着物(和服)の特性上、着くずれしないように歩くと自然とそうなったという説もありますが、古武術的にいうならば体軸をぶれさせさずに歩くことで「疲れにくく、力を出しやすい」ことが、最大の理由だと思われます。
明治維新後、国民皆兵となったころ、欧米の軍事教官が日本兵に「駆け足」を命じたところ、ほとんどの者が走ることができなかったという話もあります。
身体をねじるように手足を交互に動かす「行進」も、このころになって「輸入された」身体操法だそうです。
で、日本の誇る長距離ランナー「飛脚」の写真を見ていたら・・・

なんばで走ってる!!

100年ほど昔、現代とは逆転した身体感覚で生きていた日本人がいたわけです。
身体の使い方を考える上で、興味深い話だと思いませんか。
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其の十九、正座 
稽古するときに意識しなくてはならない重要なことのひとつに、「正しい姿勢をとること」があります。その正しい姿勢を身につけるのに最適な鍛錬法がこの「正座」です。
これまで何度も出てきたので「またか」と思う人もあるかもしれませんが、それほどに重要な身体の使い方です。
若い人のなかには「正座をしたことがない」という人もいて、びっくりすることがあります。
確かに、今の日本の生活様式では、正座をしなくとも普通に過ごせますよね。
身体的な実感は、その人々の生活する場所の固有の文化と分かちがたく結びついていると信じる私としては、少し寂しい時代の流れではあります。

さて、折角ですから、古武術的に正しい正座について。
まず、床に膝をついて「膝立ち」の状態になります。
次に、膝に重心を掛けたまま、徐々に沈んでいくような意識で尻を踵につけます。
このとき、重心は膝の方に乗ったままです。なので、踵と尻の間には薄い紙が一枚はさまっているような感覚です。
膝の間は、握りこぶしが二つ入るほどの間隔を空け、足は重ねずに、親指を揃えます。
上半身の力を抜き、下丹田で重みを感じるようにして、やや前傾になり、顎を引いて、前方へ自然に視線を開く。
これが、正座です。
どこでも出来ます。これも立派な武術の鍛錬です。是非やってみてください!
これまで何度も出てきたので「またか」と思う人もあるかもしれませんが、それほどに重要な身体の使い方です。
若い人のなかには「正座をしたことがない」という人もいて、びっくりすることがあります。
確かに、今の日本の生活様式では、正座をしなくとも普通に過ごせますよね。
身体的な実感は、その人々の生活する場所の固有の文化と分かちがたく結びついていると信じる私としては、少し寂しい時代の流れではあります。

さて、折角ですから、古武術的に正しい正座について。
まず、床に膝をついて「膝立ち」の状態になります。
次に、膝に重心を掛けたまま、徐々に沈んでいくような意識で尻を踵につけます。
このとき、重心は膝の方に乗ったままです。なので、踵と尻の間には薄い紙が一枚はさまっているような感覚です。
膝の間は、握りこぶしが二つ入るほどの間隔を空け、足は重ねずに、親指を揃えます。
上半身の力を抜き、下丹田で重みを感じるようにして、やや前傾になり、顎を引いて、前方へ自然に視線を開く。
これが、正座です。
どこでも出来ます。これも立派な武術の鍛錬です。是非やってみてください!
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其の十八、回転受身 
小学校の授業では、前回りのときには頭の後ろ側を地面につけてから始めるように教えるようです。小さい子供の場合身体の重みを支える腕の筋力が弱いので、仕方のないことかもしれません。ただ、それが癖になっているのか、この前方回転受身の練習の時も、頭をつけてしまう人が結構います。
繰り返しますが、受身の最大の目的は「頭部(とその延長である脊髄)を守る」ことにあります。
猫を高いところから逆さまにして落とすと(やらないでください)、身体を回転させて足を下に向けて着地します。頭と背骨が急所であることを、ネコなりに良く知っているからです。

前回り受身、後ろ回り受身ともに、頭を接地させません。背中を一枚の紙と考え、片方の肩とその対角にある腰を線で結んだ斜めの線を想定してください。そしてその線をなぞるように背中を地面につけていきます。
ちょっと分かりにくい説明かもしれませんが、このイメージを持つと、上達が早いですよ。
繰り返しますが、受身の最大の目的は「頭部(とその延長である脊髄)を守る」ことにあります。
猫を高いところから逆さまにして落とすと(やらないでください)、身体を回転させて足を下に向けて着地します。頭と背骨が急所であることを、ネコなりに良く知っているからです。

前回り受身、後ろ回り受身ともに、頭を接地させません。背中を一枚の紙と考え、片方の肩とその対角にある腰を線で結んだ斜めの線を想定してください。そしてその線をなぞるように背中を地面につけていきます。
ちょっと分かりにくい説明かもしれませんが、このイメージを持つと、上達が早いですよ。
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