扶桑会への入会について
通常稽古は毎週木曜・日曜(または祝日)の2回行っています。通常稽古は会員限定です。
入会希望者が参加可能な本稽古は 2月12日(日)14時から17時まで開催します。
場所は 世田谷区総合運動場 体育館 第一武道場です。
扶桑会への入会を希望される方は 左のメールフォームよりお問い合わせください。
入会希望者が参加可能な本稽古は 2月12日(日)14時から17時まで開催します。
場所は 世田谷区総合運動場 体育館 第一武道場です。
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稽古日誌 令和4年2月13日 17日 20日 23日 大東流合気柔術 東京稽古会 
大東流合気柔術東京稽古会の稽古日誌です。
2月13日(日)は扶桑教太祠 本殿での稽古でした。

「自然体を維持する」をテーマに2時間の修練。

「自然体」とは第一義には重力を自然に受けて立つこと。
地球の中心に向かって真っすぐに体を位置させることを目指します。

取り組んだのは合掌捕、逆腕捕、諸手取の崩し、腰車、抜手捕など。

滞らず、水が低いところに流れるように柔らかく人間の体を動かすというのは、言葉でいうのは簡単ですが、実に難しい。
日々の修練でこの境地に少しでも近づくように、精進です。

2月17日(木)も扶桑教太祠 本殿での稽古。

この日はまず、力比べのように両手をつかんで押し合いする鍛錬から始めました。

押される方が力で対抗すると、やはり体力勝負になりますが、体の芯でその力を受け止めて立つ大東流の体の使い方を使うと、非常に楽になります。

その考え方を使って合気上げ鍛錬、両手取り小手返、逆腕捕、切返。
力ではなく打開していく大東流の思考法で、形の修練
にじっくり取り組みました。

2月20日(日)も扶桑教太祠 本殿での稽古です。

この日は複雑な連続関節極めを皮切りに、一本捕、車倒、居捕各一本捕などなど

大東流の基本技ともいえる一本捕ですが、それだけに多くの核心的要素が含まれています。

受け、掴み、当て、崩し、極める。
重心の移動、脱力、伸筋の使い、姿勢の力で制する意識…

一つの形を繰り返し修練することで大東流の思考法を研究するのも、一つのアプローチです。

2月23日(水)は天皇誕生日。
世田谷総合運動公園 体育館での稽古でした。

いつもの合気上鍛錬から、腕の返しなどの基本操作を修練。

接点にこだわらず、全身の動きを使って力を伝えるところに極意があります。

人間の全体性を意識することは単なる武術の操作法にとどまらない思考の転換につながります。

大東流合気柔術の修業を日常に生かすうえで、大きな意味を持つ考え方といえるでしょう。

其の三百七十二 外小手 大東流合気柔術 東京稽古会 
我々が取り組んでいる大東流合気柔術では、攻撃の方法を決めてそれに対応する「形の稽古」を行うことが中心になる。

試合による勝負の決着をそのアウトプットとしている実戦武術の諸派の目から見ると、そこが悠長にも見え、また「実際には役に立たないもの」であるというような批判を目にすることがよくある。
「実際に役に立つ」ということが個別に何を指すのかは議論が分かれるところであろうから、そこを争うことにあまり意味を見いだせないが、「形の稽古」だから役に立たないということにはならない。
形の稽古を行いながらも、強度を上げ、精度を高めていくことは当然できるし、受け手も捕り手も当然そこを目指す意思が欠かせない。

今回取り上げた「外小手」については、相手にしっかりと胸元をつかまれてしまった時と、相手につかませるように仕向けたときの技の内容は大きく異なる。
どちらの場合も接点を通じて相手とつながり、こちらの大きな力を伝えていくことに変わりはないのだが、その初動においてどのように相手と駆け引きをするかということに妙味が生まれる。

言い換えれば、相手の攻撃が始まる前にすでに技に入れているかということにつながるのだ。
攻撃を受ける、と考えるか。攻撃させる、と考えるか。

漫然と形稽古を行うにあらず、相手の攻撃を千載一遇、必勝の契機となしうるかどうか。
自戒を込めて、毎日をそうした思いで修練していきたい。
稽古日誌 令和4年1月30日、2月6日、11日 大東流合気柔術 東京稽古会 
大東流合気柔術 東京稽古会の稽古日誌。
今回は1月の終わりから2月上旬にかけての記録です。

まずは1月30日(木)。神道扶桑教太祠 本殿での稽古。

この頃がある意味感染症騒ぎのピークだったかもしれません。参加者も少なめでしたが、その分基本姿勢や大東流の根幹となる考え方についてじっくりと取り組むことが出来ました。

武術者として、尋常ではない社会情勢にどう対応していくか。
各人が「実践する武術」をとらえ直す良い機会と考えたいものです。

2月6日(日)も、扶桑教太祠本殿での稽古。

腰で相手の力を受け入れる訓練をテーマに、両手取り小手返、搦投。

車倒、切返など…

形の稽古は、定まった動きを身体に練り込むことで、予測できない状況にも対応できる力を養成することが目的です。

共通の動きに取り組むことで、お互いに切磋琢磨できることもその利点ですね。

2月11日(金)は世田谷総合運動公園 体育館での稽古。

昇級審査組の自主練習や、YouTube用のショート動画撮影などを行った後に2時間の修練を行いました。

両手取、袖捕、衣紋締。
多彩な攻撃に対して力づくではなく対処する操作を数多く修練しました。

相手とつながり、自分の力を無理なく伝えていく。
突き詰めれば大東流合気柔術の目指すところはそれをいかに洗練していくかということです。

好んで敵を設定して、彼も我も危ういところでせめぎ合い、それに勝利する術を手に入れることを目的とするものではないと、私は考えます。

自らを強くすること。その強さとは人に勝ることではなく、あくまでも自己の鍛錬と向上をめざす過程の中にあります。
東京稽古会はそうした強さを求める人びとにとっての良きプラットフォームとして存在していきたいと思います。

其の三百七十一 肘当投 大東流合気柔術 東京稽古会 
相手の肘に柔らかく腕を密着させて投げ崩していく「肘当投」。
今回はこの操作法をもとに力の方向の話をしてみたい。

日本人が古来から日常的に使っていた、なんばの動き。
これは古武術である大東流合気柔術の中にも当然、現存している。
なんばについては諸研究によりさまざまな見方があるが、東京稽古会では「全身の力を使うための身体操法」と定義している。
その前提のもと今回の肘当投においては、相手に接触している腕の方向は、足先、つまり膝・腰の方向と合致させなければ技がかからない。
それがずれていた場合には、結局のところ上半身の力で押し込むこととなり、相手の抵抗を受けてぶつかり合いが生じてしまう。

力の伝達は、上半身と下半身の力の合致によって最大効果を発揮する。
全身の力を一つに合わせ切り、さらにその精度をあげていくところに、大東流合気柔術の修練の奥行きが広がっている。

なお現時点での私の仮説ではあるが、操作の際に行う「脱力」はその全身の方向性を精度高く一致させるために寄与していると考えている。
動画でも見られる通り、力みのある状態では全身のアライメント調整が精妙に働かないのだ。

なんばと脱力によって、人間の身体がおのずから備えている力の方向性を合致させる能力を引き出してほしい。
其の三百七十 抜手捕 大東流合気柔術 東京稽古会 
相手の身体の一部を「剣」に見立て、それを操作することで制圧していく。
大東流合気柔術、初伝一カ条の「抜手捕」はそのエッセンスを色濃く有した技だ。

動画を見ればわかるように、抜手捕においては相手の腕が剣に相当する。
その腕を、地面に突き立てるように操作して相手を極め固めてしまう。
その際に、やはりどうしても腕を力を込めて握りこんでしまうことが多い。
相手からすれば、むざむざ痛い目にあいたくはないので、当然抵抗される。するとさらに力が入ってしまい…という悪循環だ。

剣術の最初歩に教わることとして「剣の柄は卵を握るように軽く、柔らかく持つ」ということがある。
いわゆる「手の内」の教えだ。

まさにこれこそが大東流の技においても適用されなければならない。
手の内を柔らかく操作してみると、驚くほど軽く相手の身体は動いていく。

「剣の理合」をかくも鮮やかに適用できる古武術大東流の技術体系には、いつも驚かされることが多い。
日常の稽古の中で、そうした新鮮な驚きを失うことなく技を深めていってほしい。