扶桑会について
指導者: 石塚嘉 【達人・名人・秘伝の師範たち】
稽古日時:日曜14時半~16時半 / 木曜19時~21時
稽古場所:神道扶桑教 世田谷太祠 東京都世田谷区松原1丁目7−20 【道場紹介】
入会希望者が参加可能な公開稽古は 6月25日(日)12時30分から14時30分まで開催します。
場所は 世田谷区総合運動場 体育館 第一武道場です。
扶桑会への入会を希望される方は 左のメールフォームよりお問い合わせください。
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稽古日時:日曜14時半~16時半 / 木曜19時~21時
稽古場所:神道扶桑教 世田谷太祠 東京都世田谷区松原1丁目7−20 【道場紹介】
入会希望者が参加可能な公開稽古は 6月25日(日)12時30分から14時30分まで開催します。
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其の四百三十二 持たせておく 大東流合氣柔術扶桑会 
日本の縄文時代は1万数千年(一説には2万年とも)の長きにわたって続いたと言われる。
世界の4大文明のように絢爛壮大な文化が勃興したわけではないが、特筆すべきはその長い集団生活社会の痕跡の中に、「戦争の影」が見られないことだ。

その一万数千年の期間に対人用の武器は出土しておらず、また集団で武器による殺害を受けた遺骨も発見されていない。
冒頭でなぜこのような説を展開したか、不審に思われる方もおられるかもしれないが、実は今回の古武術解説にもこの古代の日本人の祖先たちの姿が深く関係する。
相手に手首をつかまれて攻撃を受けようとした場合、人はそれを振りほどくか、力任せに反撃を試みるのが普通であろう。
掴まれたところをそのままに、ニコニコ笑っていればいい、というのは、現代人の感覚に照らせばいかにも非常識である。
しかしその常識外れの態度が、日本古武術の大東流合氣柔術の中に、確固とした技法として息づいているのだ。

今回の操作法では、相手に掴まれたところに刺激を加えず、持たせたままにしておくことで、結果的に相手を自分から引き離していくことになる。
少しでも抵抗したり、反撃の意思をあらわにした途端に、相手との闘争状態が現実化し、多くの場合それは膠着することとなるだろう。そしてそれが肥大化し、激化していった先に集団同士での争い、つまり戦争が待ち受けている。

攻撃に対して力をもって応じない、それを受け入れたうえで敵対する相手を無力化していく思考法が、遠く縄文からの日本人の心性の奥深くに存在しており、それがこの古武術大東流の中に伝わっているのだ。
現代社会が人々に強要する、競争・選別による適者生存の理論、善と悪の二元論的思考法が、われわれ人間を苦しめているように思えてならない。

その苦しみを克服していく古武術の思考法が、荒涼とした人間社会に本来あるべき叡智を示唆する時代が間もなく到来するのではないだろうか。
突拍子もない話のようであるが、それが私にとっての大きな夢である。
稽古日誌 令和5年4月13日 16日 19日 大東流合気柔術 扶桑会 
大東流合氣柔術 扶桑会の稽古日誌です。今回は4月半ばの稽古内容を記していきます。
まずは4月13日(木)。

「下から攻める」という考え方をベースに研究しました。
相手に対して下から見上げるような意識で向かうことで、全身の力を有効に使うことができます。

「上から目線」という言葉がありますが、これはその対極に位置する考え方ですね。
武術である以上、敵の攻撃を無力化するという目的はありますが、アプローチの方法が非常に独特です。

それは古来の日本人の考え方に由来すると言っていいのではないでしょうか。
すなわち、外来の異文化をまずは受け入れながら、時間をかけて馴致同化していった長い歴史そのもです。

一見すると現代日本では失われてしまっているように感じられる思考法ですが、こうして古武術の中に保存されているものを解凍し、再び世に伝えていくことができれば素晴らしいと思っています。

続いては4月16日(日)の稽古。

この日は間近に迫った昇段審査に向けて、全体で心構えを共有しました。

基本の形では、礼に始まり礼に終わる所作を再確認。
また、「止め、残心」など古武術の本質ともいえる動きについて、その意義を含めて学び直しました。

昇段審査は技術向上を目指す扶桑会にとって重要な行事です。
昇段対象者のみにとどまらず、ともに修練する仲間全員で、古武術修行者としての真髄を体得していってもらいたいと願っています。

最後は4月19日(木)。

大東流合氣柔術は「柔らかく、滞らず」動くことを目指しますが、それがともすれば、表面を力が上滑りしていくことになってしまいがちです。
武田惣角先生が久琢磨に授けた大東流は、極めの激しい、柔術的要素の強いものであったそうです。
それは、伝授する相手を見て技のエッセンスを変幻自在に変えていた惣角先生が、学生相撲の大関でもあった久琢磨に適合した技を教えたということもあるのかもしれません。

私たちの修練も、単なる形に堕しては本質を見誤ります。
最終的に流れるような動きに洗練されていくとしても、ひとつ一つの動きによって確実に相手の芯に力を伝達することを忘れてはいけないのです。

柔らかくはあっても、厳しく、確実に。
古き教えを仰ぎながら、技術向上を目指していきます。

其の四百三十一 抜いて落とす 大東流合気柔術 扶桑会 
今回は強い力で胸倉をつかまれた時を想定して、大東流合気柔術ならではの身体の使い方を考察してみる。
最大のポイントは「脱力」である。

相手が強い力で攻撃してきているのに、こちらが脱力するなどというのは非常識と思われるだろう。
強い力に対して弱い力が勝るというのは物理学的にも矛盾しているように感じられるからだ。
ただし、ここでいう脱力は「弱い力」と同義ではない。
いわば種類の異なる力を使うことで、相手に意思を伝達していく。
両腕で掴まれている胸の接点をそのままに、捕り手側は腕を相手の腕の内側に差し込む。
そして相手の肘関節に対して、腕をのばすように刺激を与えていく。
この時に肩から先を充分に脱力して「腕の反し」の技法を使う。
腰および肩甲骨から腕を回転させるようにして、全身の力を指先に向けるのだ。

これは筋力で相手とぶつかるように行う操作とは異なり、「力のせめぎ合い」が生じない身体の使い方である。
肘関節が外側には曲がりやすいという特性を利用して、相手の体幹に微妙な刺激を与えるのだ。
ここで少しでも相手の身体が動いたら、押し込むのではなく、身体の重みを肘の一点に集める(重力を利用する)意識で崩しをかける。
扶桑会が標榜する「自然体での動き」が有効となる。

動画の中でも触れているように、相手が力ずくで攻撃してきている時というのは、必ずどこかに弱点(隙)ができるものである。
こちらはその力に同じ意識で対抗するのではなく、常識をずらした方法論で対峙する。
冒頭述べた通り、大東流ならではの思考法を体感できる動きであるといえるだろう。

もちろん、脱力した異種の力を発揮するということは「言うは易く行うは難し」である。
不断の鍛錬によってその極意をつかみ取ってほしい。
稽古日誌 令和5年4月2日 6日 9日 大東流合気柔術扶桑会 
大東流合気柔術扶桑会の稽古日誌、今回は4月上旬の稽古内容を記していきます。
まずは4月2日(日)の稽古。

重心の移動で相手を制していく考え方を修練。
上のような一見アクロバティックに見える技も、相手と自分の間に適切な空間をあけ、体重移動を行うことで可能になります。

腕の力で無理やりに動かそうとするのではなく、地球が生み出す「重み」に沿うことで相手がひとりでに動いていくように。
まさに自然環境に合致して、抵抗を生まない不可思議な力を発揮していきます。

扶桑会の考える「自然体」というものを、これからも稽古の中で突き詰めていきたいと考えています。

続いて4月6日(木)の稽古。

この日は自分の持つ「軸」を利用して相手との関係性を作っていく考え方を研究しました。

自分の軸に相手を巻き込む、自分の軸を移動させることで大きく崩しをかける…。
「軸」とは自分の身体を通る重みを意識し、把握することで生まれます。
地球の中心に向かって真っすぐに落下していく自分を感じることができるか否か。

突き詰めていけば非常に奥深い感覚ではありますが、まずは「姿勢を正しく保つ」こと。
そうした基本の部分から始めていくことが大事です。

最後は4月9日(日)。一年ぶりに新木場にある民間のスポーツ施設で稽古しました。

広い稽古場で、大きく身体を動かしていく技に取り組みます。
身体を固めず、雄大に伸ばしていく意識が重要です。

関節を捕って力を伝えていく操作では、ともすれば接触点にこだわりがちになってしまいます。
小さな部分を攻めるときこそ、その先にある本体に目を向けなければいけません。

「些事にこだわらず、本質に関与する」
古武術に限定されない、人間としての心構えにも通じる思考法です。

其の四百三十 柔らかく入る 大東流合気柔術 扶桑会 
直線的な攻撃に対して、心理的にも肉体的にも硬くなることなしに対応していく思考法を紹介する。
短刀捕という武器を使った修練を行うことによってよりその思考法の核心に迫ろうというものだ。

身体操作はいたって単純で、こちらに対して突きこまれる短刀をギリギリのところで躱し、その腕が伸びきったところで、肘をとらえて下に崩していく。
これを大きく分けると、身体を捌いて短刀をかわし、再び身体を捌いて肘を落とすという二つの動きとなる。
技の要諦をいうならば、この二つの動きのどちらにも要求されるのが「柔らかさ」だ。
第一の動きでは、相手の攻撃を大きく動いて躱すのでは、次の動きにつながらない。
あたかも「相手を受け入れるように」短刀の軌道上から最小限の捌きで身体を移動させることを心がけてほしい。

次に第二の動きであるが、今度は突き込まれた腕に「寄り添うように」身体の向きを変え、相手の肘の内側に手を当てる。
この時に重要なのが、短刀をかわした捌きと分断することなく、柔らかく二つの動きをつなげていくことだ。

要求されるのは筋力によるスピードではなく、水が流れるように途切れない動き。
このことが生み出す「速さ」の感覚が相手の崩れを誘うのだ。

大東流の口伝に曰く「速いが技」とは、「柔らかさ」の追及によって生まれる一面があるといえるだろう。
全身一体の運用を精度高く、また自然の理に逆らわない正しい動きで行うことで、この口伝は達成されると、私は考えている。
其の四百二十九 逆肘を攻める 大東流合気柔術 扶桑会 
肘は内側には曲がるが、外側には決して曲がらない。
これは人体の構造上規定されている動き方であって、これを無理押しに曲げようとすると、関節が破壊されてしまう。

人間の心理的には、自分の身体が破壊されることに対しては非常に大きい抵抗が生まれる。
仮に相手の肘を外側に曲げようと試みた場合、相当な強度で防がれてしまうはずだ。
結果、そこには無益な「力のぶつかり合い」だけが生じることとなる。
大東流合気柔術では、力をぶつけることなく、その心理的抵抗を利用する。
今回の操作法では、そのために相手が着用している胴着をつかうのである。

「胴着は、皮膚と同じである」という口伝がある。
ここでは袖の部分を、相手の皮膚の一部とみなして軽く掴み、腕の力を使うことなく、腰の回転で肘を巻き込んで逆関節を攻めるのだ。

こうすることで相手は抵抗する拠り所をなくしてしまい、逆関節を保護したい心理的規制も相まって、自ら身体を自縄自縛の状態に陥らせる。
これを「自らの皮膚が自分の身体に巻き付いてくる感覚」といえばお判りいただけるだろうか?

動画の中にも述べた通り、力押しに肘を持ち上げようとすると、頑強に抵抗されてしまう。
屈筋の力を使うのではなく、肩から先は脱力し、ただ腕を固定したようにして操作することがコツである。
稽古日誌 令和5年3月16日 19日 21日本稽古 26日 30日 大東流合気柔術扶桑会 
大東流合気柔術扶桑会の稽古日誌、今回は3月後半の記録です。
3月16日(木)は世田谷総合運動公園体育館での稽古でした。

普段稽古に使わせていただいている扶桑教太祠が春季例大祭のため、毎年3月は稽古場所の確保がままなりません。
しかし、見方を変えてみればいつも決まった場所で稽古ができる境遇が如何に恵まれていることか。
改めて感じさせられます。

与えられたご厚意やおかげさまのご縁を、当たり前のことではないと知り、感謝の気持ちで古武術修行に向かうことを忘れてはならないと思います。

この日の稽古も基本の動きから積み上げて、じっくりと取り組みました。
いつも繰り返す動きの中にも、常に新たな発見を見出していく気持ちをもって修練していきたいものです。

3月19日(日)も世田谷総合運動公園体育館での稽古。

この日は冒頭で礼、残心といった所作について改めて重点を置いて基本の形を行いました。

古武術の本質は所作にある、というのが扶桑会で重視しているコンセプトです。
それは、人の動きの中に日本人独特の「世界の捉え方」が保存されているからです。
古来日本人は目に見えない「考え方」を重要視し、それらを伝承するために宗教儀礼や茶道や華道、伝統芸能の動きの中に、所作として織り込んでいったのだと、私は考えています。

その伝承経路の一つとして、私たちが取り組んでいる古武術が存在します。
現代社会では顧みられなくなってしまったそうした所作の復権も、古武術を通して我々が再認識していくべきことではないでしょうか。

この日、立派なイチゴ「とちおとめ」の差し入れをいただきました。

稽古の後、みんなでいただきました。甘くみずみずしいイチゴ。
ありがとうございます。

3月21日(火・祝)は3月の本稽古。
この日は春分の日、昼と夜がちょうど半分の長さになる「お彼岸の中日」です。

「国民の祝日に関する法律」によると、「春分の日」は「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」ということになっています。
太陽に明るく照らされる昼と、闇に包まれてしまう夜。
古来人々は、この不思議な世界の移り変わりを「目に見えるものと、見えないもの」の交代であると捉え、昼と夜が一日を丁度二分する春分、秋分の日を特別な日と定めたのでしょう。
そうした敬虔な感情が、現代の法律にも「自然や命を尊重する」という精神として残されているのだと思います。

稽古では「相手に掴ませたままにする」というテーマで基本要素を研究しました。
相手を制圧しようとするのではなく、自然の理に則った動きで応じることで、自分の活路を見出していきます。

脱力や、全身の連動、接点から反れたところで操作する意識など、大東流合気柔術の極意につながる思考法が数多く含まれる動きに丁寧に取り組んだ三時間でした。

続いて3月26日(日)、この日は稽古後に近くの公園で「花見」をする予定でしたが、あいにくの雨模様で残念ながら中止となりました。

とはいえ、稽古はしっかりと。
こちらから相手に働きかけて、体勢の崩れを作り出していく「掛け手」の技法をいくつかの動きで修練しました。

大東流では相手の攻撃に対応して技を発揮する操作が多いと感じる方も多いと思います。
しかし、私たちの取り組んでいる琢磨伝では、「掛け手」の技法が相当数含まれます。

武術として奥を極めていくうちに、相手から攻撃を受ける場合の動きの質も自ずと変化していきます。
ただ相手の攻撃を待つのではなく、「相手に攻撃させる」「自分の有利な位置に攻撃を誘う」というような考え方が必要になってきます。
この日の修練で、そうした思考法の片鱗が感じ取れたでしょうか。

最後は3月31日(木)、この日から稽古場所がいつもの扶桑教太祠 本殿に戻りました。
神前での稽古はやはり心が引き締まって良いものです。

基本動作として、「手刀の使い方」を中心に修練。

肩から先だけを動かしてしまいがちですが、手刀もまた「刀」です。
剣を使うがごとく、全身で操作していく意識がなくては、力が発揮できません。

脱力するとともに、身体の中心からエネルギーを放出するように。
基本の考え方として、常に意識して稽古していきましょう。

其の四百二十八 一ヶ条居捕 大東流合気柔術 扶桑会 
大東流合気柔術 初伝118カ条のうち「一ヶ条」と呼ばれる31本の形を3回にわたって紹介する。
最後となる第3回目は「居捕」の十本。これらの形は双方が座った状態で技を行う。
扶桑会では昇級審査の5級で一本捕、逆腕捕、4級で左記に加えて車倒、肘返を行う。
3級以上は10本すべてが審査項目に入ってくるため、この動画を参考にして習熟されたい。
以下に形の名称を読み方とともに記す。
一本目 「一本捕(いっぽんどり)」
二本目 「逆腕捕(ぎゃくうでどり)
三本目 「車倒(くるまだおし)」
四本目 「肘返(ひじがえし)」
五本目 「小手返(こてがえし)」
六本目 「絞返(しぼりがえし)」
七本目 「抱締(だきじめ)」
八本目 「搦投(からめなげ)」
九本目 「抜手捕(ぬきてどり)」
十本目 「膝締(ひざじめ)」

動画の見方であるが、最初に通常の速度での演武、続いて再生速度を落としてポイントごとに解説を加えている。
いわゆる「楷書」のように一点一画をおろそかにせず、しっかりと詰め、崩しを入れて制していく「柔術的」動きである。
最初はこのように、柔術的技法を大切にして形を覚えていくことが望ましい。
なお、それぞれの形の解説の末尾に「合気柔術」として動きを簡略化した方法を掲げた。
簡略化と言っても単純にコンパクトにしたというものではなく、より少ない動きの中に柔術的崩しを包含させている。
一見すると体捌きなどが省略されているようだが、これらも微妙な重心の移動や身体操作で柔術的技法と同じかそれ以上の威力を発揮させている。
より発展的な研究に役立てていただければ幸いである。
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