扶桑会について
指導者: 石塚嘉 【達人・名人・秘伝の師範たち】
稽古日時:日曜14時半~16時半 / 木曜19時~21時
稽古場所:神道扶桑教 世田谷太祠 東京都世田谷区松原1丁目7−20 【道場紹介】
入会希望者が参加可能な公開稽古は 10月22日(日)14時30分から16時30分まで開催します。
場所は 明大前 扶桑会館(神道扶桑教太祠 本殿) です。
扶桑会への入会を希望される方は 左のメールフォームよりお問い合わせください。
【関連商品】
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【Twitter】https://twitter.com/aiki_fusoukai
【Instagram】https://www.instagram.com/aiki_kobujutsu/
【Facebook】https://fb.com/kobujutsu
稽古日時:日曜14時半~16時半 / 木曜19時~21時
稽古場所:神道扶桑教 世田谷太祠 東京都世田谷区松原1丁目7−20 【道場紹介】
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其の四百四十五 並んで攻める 大東流合氣柔術扶桑会 
「剣を使うように」相手の身体を操作する、大東流合氣柔術ならではの技法解説、今回は「相手の隣に並ぶ」思考法を解説する。

これも「摺り上げ」の動きがその根幹となる考え方だ。
「摺り上げ」についてはここ何回か継続して取り上げているので、そちらも併せて参照してほしいが、手刀の刃(小指側)を意識しながら、自分の身体の中心で操作することが基本となる。
両手をつかんできた相手の手首を、手刀を立てるようにして相手の肩を詰める。
この初動で相手の体幹部分とつながるところが最初の難関であるが、これはいわゆる「合気上げ」の技法によって可能になる。
(この部分は「其の四百四十 刃に乗せる」で詳しく解説している)
さらにここから、この相手とのつながりを失わないように攻めを展開していくのだ。

両手刀を摺り上げるようにして立て、相手の肩を詰めたら、そのまま自分の中心で手刀を構え続けたまま、相手の側面に入り身する。
出来るだけ全身を脱力して、ただ「隣に並ぶ」ような気持ちで入っていくのがコツだ。
この時身体を転換する外側の手で、相手の手首を軽く握っても良い。
力を込めて握ってはいけない。あくまで小指をひっかける程度の入力にとどめること。

上手く隣に並ぶことが出来たら、相手にはこちらの全身の力がダイレクトに伝わる。
たまらず爪先立ちになって、その大きな力から逃れようとする相手の肘を肩に担ぐようにすれば、まったく身動きさせることなく制することが出来るのだ。

動画の中でも指摘しているが、この時に相手の腕を一本の刀と認識し、その切先を相手の肩に突きつけ続けること。
その攻めの意識が途切れたとたんに、相手への力の伝達はなくなってしまう。
これもまた、古武術大東流の「剣の理合」を如実に示す技術である。
稽古日誌 令和5年7月16日~18日 冨士登拝修行 
大東流合気柔術扶桑会の稽古日誌。
今回は扶桑会の稽古の一環として参加した、「冨士登拝修行」について記していきます。

普段稽古場として使わせていただいている、扶桑教世田谷太祠 本殿に安置されている御神体「御神實(みかむざね)」を奉じて、富士山八合目の天拝宮まで供奉登拝するのが修行の目的です。
下の写真奥に祀られているのが「御神實」。
扶桑会からは私(代表)を含めて3人が同行します。

16日に現地入りし、各種祭祀を行った後、17日からいよいよ登拝が始まります。

まずは北口浅間神社に参拝。

五合目 小御嶽神社から登山開始です。

古武術をたしなむ私たちだけではなく、小学校低学年の子どもや御高齢の方も一緒に修行します。
そのためペースはかなりゆっくりです。
ひとりも脱落させることなく、皆が目的地にたどり着くことも、この修行の大きな目的なのです。

雲を眼下に眺めながら一歩ずつ着実に進みます。
天気も良く、陽射しが強かったのですが、暑さを感じるころになると山の斜面を駆け上るように冷たい空気が吹き付けてくれました。
まるで修行を後押しするかのような自然の恵みです。

夕刻、18時過ぎに八合目天拝宮に到着。
「御神實(みかむざね)」をお祀りして、翌朝まで短い仮眠を取ります。

翌未明、2時30分ごろに頂上を目指して山小屋を出発。
霧もなく、遠くまで見渡せる良い天気です。

4時30分、9合目に差し掛かる辺りでご来光をお迎えしました。

地元のガイドさんによると、まれにみる美しいお姿だったとのことです。
思わず合掌。
神々しい日輪に向かい、扶桑会会員の武芸上達と健康息災を祈念しました。

6時過ぎ、ようやく富士山頂に到着。
無事、日本最高峰の地に立てたことに感謝です。

稽古では地球環境と合致して動く「自然体」を重要視した修練を心がけている扶桑会ですが、こうした剝き出しの厳しい自然環境に身を置きながら終始歩み続けることで、「自然体」であることの難しさと、その有用性を同時に感じることができました。
人は本来、宇宙とともに生きている存在なのです。

浅間大社奥宮にも参拝。
御祭神の木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)にも御挨拶してまいりました。

扶桑会では今後も、富士登拝修行を続けていくつもりです。
参加できる人数に限りはありますが、古武術と古来からの山岳信仰の両面から、日常を離れた得難い経験が出来ます。
関心のある方は、お問い合わせください。
其の四百四十四 縦に重ねる 大東流合氣柔術扶桑会 
今回もまた、腕を刀に見立てて操作することで相手の身体の自由を奪う技法について解説していく。
ポイントは「立てる」操作だ。

初動は「掛け手」。
手首をつかませるかの如く差し出し、相手が手を出してきた瞬間に摺り抜けるようにして反対につかみ返す。
大東流合気柔術では、自ら姿勢を崩して攻撃を仕掛けていく技の体系は少ないが、「掛け手」のように、こちらから相手に攻撃させるよう仕向けることで、相手の崩れを誘うことは頻繁に行う。
この動きも、相手の重心を前にかけさせることが目的であって、その状態でこそ技が有効になる。
前に踏み込んだ相手の手首をつかみ、それを「刀の柄」と仮想して、剣先を「立てる」ように操作する。
この操作によって、相手の肩が詰まり、身体を浮かすことが出来るかどうかで成否が決定する。

刀の柄を握って剣先を「立てる」わけであるが、この時に必要とする握力や手首の力は極めて小さくて良い。
実際に木刀か模擬刀を使ってその操作をしてみると良く分かると思うが、腕に力を込めて剣を立てることはないはずだ。
ただ、人の手首をつかむとなると、どうしても力が入ってしまう。
ここで意識を変えられるかどうか、そこが稽古だといえる。

ただ刀(剣)を立てるがごとく、小指を締め、全身の力を使って相手の身体を浮かすことが出来たら、次は手中にある二本の腕を交叉させる。
この時に、重ねる下側の腕の峰(親指~橈骨)に、上側の腕の刃(小指~尺骨)を垂直に合わせる。
まさに刃筋を立てるように。
前回同様、不思議に思われるかもしれないが、人はこの操作で自縄自縛に陥り、つま先立ちのまま身動きが出来なくなってしまう。

こうした技法は表面上の動きの面白さや不思議さにとらわれがちだが、初動で相手を前のめりにさせきれるか、次に手首を鋭く「立てる」ことで制することが出来るか、そうした「初動の正確さ」が成否のほぼ9割を占める。
枝葉にこだわらず、根本部分に備える稽古を心がけてほしい。
稽古日誌 令和5年7月6日 9日 13日 大東流合気柔術扶桑会 
大東流合気柔術扶桑会の稽古日誌です。
今回は7月上旬から中旬にかけての活動内容について記していきます。
まず最初は7月6日(木)、扶桑教世田谷太祠での稽古。

つかまれたところ、打ち込まれたとき、接点に力を籠めずに操作していく修練から始めました。

技の難易度が上がり、複雑になるにつれて全身の脱力が要求される度合いが高くなっていきます。
相手との接点は、ほとんど手刀の一部分で触れているだけ、もしくは挟み込んでいるだけ。柔らかい動きが出来るほど、技の切れが生まれます。

それぞれ現時点の習熟度に合わせて、そうした感覚をつかんでいってほしいと思います。

続いては7月9日(日)の稽古。
この日も接点に手刀を搦め、筋力に頼らず全身の連動で力を伝える修練から始めました。

肝心なのは、ぶつかり合い、せめぎ合っている部分にこだわらないこと。
身体操作というよりもむしろ、認識の刷新に難しさを感じているように見て取れます。

後半戦は後捕。
見えないところから攻撃を受けた時、どのように初動を取るかが問われます。
単純な動きのセオリーを学ぶだけではなく、対峙する心構えの鍛錬です。

受ける側ともコミュニケーションをとりながら、ただ形をなぞるだけに堕さない密度の濃い稽古を目指していきます。

最後は7月13日(木)。
自分の重心を相手の身体に乗せる操作法から。

小手先の動きで押し込んでしまいがちですが、ここは全身を一体化して「乗り」ます。
言葉で聞く分には何となく理解できますが、実際にやってみるとなかなかの難易度です。

これを行うためには、現代人が生まれてこの方、長らく支配されてきた「筋力による身体操作の呪縛」から脱する必要があります。

それは言ってみれば、自他の境界を取り払い、相手と思念を同調させることによって実現する身体操作なのかもしれません。
古武術の修練を通じて、そうした境地に通じることを目指していきたいと考えています。

其の四百四十三 刃筋を立てる 大東流合気柔術扶桑会 
相手の腕を使って身体に刺激を与えて、自由に動けないようにする技術を紹介する。
今回の動きは大東流合氣柔術に特徴的な「搦める」技法を援用したものだ。
初伝では「搦投」の形として知られている。

相手の両腕をある一点で交叉させ、バランスを取って体幹部分に力を伝える。
決して強く押し付けてはならず、二つの腕のバランスをとることで相手の踵が浮き、爪先立ちにさせてしまう。
術がかかった相手は一見すると奇妙な状態で静止していて、見る人に不可解の念を催させると思うのだが、これは決して理屈を外れた魔法をかけているわけではない。
ただ、その腕の操作の仕方に秘訣がある。
これまで続けてみてきたように、人体の一部である腕を「刀(剣)」に見立てて操作することで、鋭く効果の大きい入力が可能となる。
この操作では小指から尺骨を通る線、すなわち「刃」の部分を使うのだ。

上から掴んだ相手の腕を、下側の腕に押し当てる際、小指側を垂直に当てるようにして押し付けていく。
いわゆる「刃筋を立てた」状態で刺激を与えることで、相手の身体には詰まりが発生して、そこから逃がれようとする生理的規制によって自縄自縛に陥ってしまう。

そしてこの時に重要なのが、操作する腕をがっちりと握り込まないこと。
さらに痛めつけようとして強引に押し込まないことだ。

画面を見てもらえれば分かると思うが、接点は極力掴まず、挟むか、ただ触れているようにして操作している。
むしろ両腕を動かす量をバランスさせることで制するのだと心得ると良いだろう。
「搦め」技法の精妙な仕組みを体感して、古武術の奥深さに触れていただきたい。
稽古日誌 令和5年6月25日本稽古 29日 7月2日 大東流合氣柔術扶桑会 
大東流合気柔術 扶桑会の稽古日誌。
今回は6月終盤から7月の初旬にかけての稽古内容を記録します。
まずは6月25日(日)、この日は6月の本稽古でした。
本稽古では新規入会者向けに一般公開すると同時に、いつもより平易に、かつ系統立てて大東流の基本概念を修練します。

今月のテーマは「力を出す」。
単純なようですが
肩から先、腕の力に頼らない動きに直結する重要な要素です。
どの動きにも、柔らかく脱力することが求められます。

この日はまた、稽古の中で一級審査も行いました。
初伝一ヶ条を31本すべて演武。
しっかりと修練を積み、準備も整っており、凛とした美しい演武となりました。

扶桑会に最近加入した人のためにも有意義な審査となったと感じます。
次の初段認定に向けて、さらに奥深く探求してもらいたいと思っています。

稽古はさらに二カ条の動きにも進みました。
丹田から力を出すことで複雑な動きであっても一本の線が通るように完結していきます。

決して相手を壊そうとするのが目的ではなく、自分の力を正しく適切に発揮することが技の目的であることを、実感できた稽古でした。

続いて6月29日(木)の稽古。
手刀の「刃」を使うことを様々な動きの中で確認しました。

この日、基本の形として二カ条「小手詰」に取り組みましたが、なぜか上手くいかなくてイライラする会員の姿も。

稽古の中で不調を感じて、フラストレーションがたまることは良くあります。
今までできていた動きがまったく通じなくなったり、受ける相手が変わったことで効果が出なかったり。
その時にどう自分の意識を切り替えることが出来るか、ということが実は肝心です。

難関に出会ったときは、それを自分の成長を促す良い機会と捉え、喜んで解決に向けて取り組むこと。
まさに「難しいことが有る=有難い(ありがたい)」なのです。

最後は7月2日(日)の稽古。

扶桑会の稽古では、前半に基本動作を全体で行い、後半は習熟度別に組に分かれてそれぞれの課題に取り組むというスタイルが多いのですが、最近では取り組む技も多彩になってきました。

初心者の技から後捕、半座半立、二カ条、総伝技…
もちろん初心者にとって無理は禁物ですが、同じ相手とばかり組むのではなく、一つの動きをいろんな人と試してみることで気づきが生まれることもあります。

稽古の仕方にも多様性を持たせながら、古武術大東流の探求を続けていきます。

其の四百四十二 縦に使う 大東流合氣柔術扶桑会 
自分の身体を刀(剣)に見立てて操作する大東流合気柔術の考え方を、このところ数回にわたって取り上げてきた。
「摺り上げる」「斬り込む」では刀の刃を使って相手の身体に斬り込んでいくような意識で力を伝え、「刃に乗せる」「中心で構える」では刀をあつかう時の身体感覚によって相手の身体を動かしていく技術を紹介した。

今回はその応用編として、相手の身体を刀(剣)に見たてて使う考え方について考察してみる。
ポイントとなるのは刀の「柄(つか)」である。
相手が手首を掴んでくるところをその寸前で抜きかわすようにして、反対に掴み返す。
これを「掛け手」という。
この時相手の手は親指が上を向いている。人が何かを掴もうとする場合はそれが自然だからだ。
この親指は刀でいうところの「峰」であり、逆に小指側は「刃」になぞらえられる。

次に、上を向いている相手の手の親指側すなわち「峰」を下に向けるように操作する。
当然のことながらこの操作によって、峰が地を向き、刃が天に向けられる。
あたかも剣の刃を反すように、相手の手首を操作するのだ。
「刀の柄を使うように操作する」という口伝がここで活きてくる。

剣に見立てられた腕(手刀)の刃を反すと、人体にはどのような作用が起きるか。
肩の関節に刺激が入り、身体の中心部に力が「つながる」。
ここでさらに相手の腕の付け根を剣の「切先」と見なして、その切先で肩を斬り落とすように操作すると、驚くほど容易に相手は崩れ落ちてしまう。

ここでも「剣の理合」が基盤になることを忘れてはならない。
力を入れず、むしろコンパクトに、わずかな動きで剣を斬り落とす方が、技のキレは鋭くなる。
無理やりに相手の意志に反した操作をするのではなく、柔らかくスルっと斬れるところが必ずある。
「剣の理合」に深く意識を向けることによって、そうした感覚を会得していってほしい。
其の四百四十一 中心で構える 大東流合氣柔術 扶桑会 
「力を使わずに動いてください」ということを稽古の中では良く耳にする。
しかし、その感覚を理解している人にとっては当然のアドバイスであっても、初心者にとっては全く支離滅裂な要求に聞こえるであろうことは想像にかたくない。

今回は、大東流合氣柔術初伝一ヶ条の「腰車」をもとに、「力を使わずに動く」とは一体どういうことかについて述べてみたい。
相手の攻撃は衣紋締め。両腕を使って力いっぱい首を絞めに来る。
これに対応して、捕り手側は相手の両肘を上下に分けるようにする。相手の身体の崩れを誘うことが目的だ。
この時に「力を使わないで動いてください」となる。
首を絞めてくる相手の腕を動かすのに「力を使わずに」とはいかなる意味か、とアドバイスを受けた側は混乱する。
ではありながら、力いっぱい相手の肘を押し上げたり、引き落としたりしても、なるほど全く動いてはくれない。
むしろ、相手はより一層力を込めてくるようになって、膠着してしまう。

つまり、これを初心者の立場に立って親切に言い換えるならば、「腕の筋肉の力を使わずに」というのが適当なのだ。
さらに言うと、「腰から腕を摺り上げるようにして、全身を連動させてください。筋力を使うのではなく、肘から小指までの線を張るように使って、自分の重心の上に乗せるように動きましょう」とでもなろうか。

ここまでは前回まで取り上げてきた「摺り上げ」の技法を使って説明できる。
「腰車」ではさらにもう一段崩しの度合いを高めて、自分の腰の上に相手を乗せてしまわなければならないのだが、やはりこの時も腕、上半身の筋力に頼って相手の身体を引き回そうとしてしまいがちだ。
ここも「力を使わないで」、すなわち「身体の中心で手刀を構えたまま、腰を回転させることで相手を動かしましょう」と言い換えていただきたい。

立体的な身体操作のイメージを言葉によって伝えるというのは、難しさを伴うことではある。
と同時に、この概念の言語化もまた、古武術の修行が奥深く、興味の尽きないところであると感じる。
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