扶桑会について
指導者: 石塚嘉 【達人・名人・秘伝の師範たち】
稽古日時:日曜14時半~16時半 / 木曜19時~21時
稽古場所:神道扶桑教 世田谷太祠 東京都世田谷区松原1丁目7−20 【道場紹介】
入会希望者が参加可能な公開稽古は 12月10日(日)12時30分から14時30分まで開催します。
場所は 世田谷区総合運動場 体育館 第一武道場です。
扶桑会への入会を希望される方は 左のメールフォームよりお問い合わせください。
扶桑会のYouTubeチャンネルでは「メンバー限定動画」の配信を始めました。一般公開の動画ではカットしている口伝や、道場でしか見せないコツを取り上げています。
興味のある方は 「Aiki-Kobujutsu」チャンネルホームページ にアクセスして「メンバーになる」から購読手続きしてください!
【扶桑会がTV放送されました!】
NHKWorld「J-arena」(↑上の画像をクリックすると無料視聴できます)
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【Twitter】https://twitter.com/aiki_fusoukai
【Instagram】https://www.instagram.com/aiki_kobujutsu/
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【稽古日誌】令和5年10月22日本稽古 26日 29日 大東流合氣柔術 扶桑会 
大東流合氣柔術扶桑会の稽古日誌です。
今回は10月下旬の修練内容について記録していきます。
まずは10月22日(日)、この日は10月の本稽古でした。

この日のテーマは小指の使い方。
正確な位置に、正確な方法で操作することで驚くほどの力を発揮するのが小指を含めた身体の外側です。

扶桑会に参加して間もない会員はもとより、修練を積んで技術を得た人も、しっかりとその考え方を再確認しておいてほしいと思い、取り上げました。

「神は細部に宿る」といいます。人体のうちのわずかな部分しか占めない小指の操作法に、まだ発見していない古武術大東流の真髄が含まれているかもしれません。

続いては10月26日(木)の稽古。
基本の形は「相手の中心を攻める」を念頭に。

これも言葉でいうのは簡単ですが、実際に双方が動きのある中で中心をとらえ続けるというのはかなりの鍛錬を要求されます。
相手の中心をとらえ、自分の中心をそこに作用させる。
それはまさに相手と一体になるということにもつながっていくのです。

この数年、世界の各地に武力行使を伴う紛争が続いています。
自分以外の他人と一体になるという修練を通じて、究極的にはこの世に生きているものすべてと自分を「分けて考えない」という境地にまで至ることができたならば、同じ人間同士が憎しみをもって命を奪い合い、不幸の連鎖にもがく苦しみを解く鍵を見つけられるかもしれません。

その鍵は、私たち一人ひとりの裡に既に存在しているのかもしれません。
私たちは、ただ単純にそれを忘れ、見失っているだけなのかもしれません。
一生の修行をかけて追及する価値のあることだと、考えています。

最後は10月29日(日)の稽古。

この日は冒頭で、2級審査を行いました。
大東流合気柔術の初伝一ヶ条、居捕、立合、後捕の計25本です。

今回の受審者は熱心に稽古を続け、入門したころから比べると見違えるほどに上達し、理解を深めています。
修練の成果を見事に演武で披露し、無事に二級の認定を受けました。

「継続は力なり」という言葉は、誰もが知っているありふれた言葉ですが、その真実の「力」については、案外知られていません。
何がおきようとも心穏やかに、ただ、なすべきことを行う。
「続ける」ことを本当に会得したとき、ひとはすでに目的を成就しているのかもしれません。

穏やかな晴れの日も、苦しい嵐の日も。
今後も扶桑会では、毎日の稽古をしっかりと続けていくつもりです。

【動画解説】其の四百五十八 開く 大東流合氣柔術 扶桑会 
今回は、人間の意識的な働きがいかに身体操作に影響を及ぼすかということを、武術的な動きを例にして説き起こしてみたい。
取り上げる動きは、両手取りを接点に高低差(落差)をつけることで崩していく基本操作だ。
特に名前がついているわけではないが、相手との「つながり」を切らずに操作する鍛錬としてよく行う。

力いっぱいつかんできた相手の力を受け止めて、柔らかく肩を詰める。
前回、「其の四百五十七 肩車」でも解説した「結び」の操作で相手の動きを止め、つながりをつくるのだ。
この時に相手の体幹にまで自分の力が通っていることが理想だが、最初のうちはそこまでは難しい。
ひとまず相手の動きが止まっていれば、良しとする。
肝心なのは、ここからだ。

身体を180度転換させて、相手と同じ方向を向く。
と同時に軸足の上で、物がただ落ちるようにまっすぐに沈むのだ。
この時に掴まれている部分を使って相手を引っ張ろうとすると、たちまち「つながり」は失われる。
身体をひとつの「完全な塊」としてとらえ、一体となって動くことで相手は崩れていく。

相手を投げよう、制圧しようという意識が嵩じると、この「完全な塊」にはなれない。
「己を空しくする」。仏教や禅の修行でも頻繁に語られる思考のプロセスが、それを可能にする。
実際に動きてみると実感できるが、余計な思考が浮かんだ途端に身体の一部に滞りが発生するのだ。

座禅や瞑想など、宗教的なアプローチではかなりの達人でないとその「己を空しくする」境地に至るのは難しいと聞く。
古武術大東流とそれらを一概に比較できるものではないが、明確な動きの中に、その効果をたちどころに感じとることができるこうした稽古は、非常な有意義なものであるというほかない。
【動画解説】其の四百五十七 肩車 大東流合氣柔術扶桑会 
今回は相手の攻撃の「下に潜り込む」操作によって、崩しをかけていく考え方について解説してみよう。
援用する形としては大東流二カ条立合の「肩車」を取り上げるが、突きや横面打ちなど遠間からの打撃に対しては同じ考え方で対応できる。

正面打ちを打ってきた相手の小手を下から斬り上げて受ける。
手刀で跳ね返すのではなく、相手の正面打ちの軌道に下から合わせるように打ち上げ、柔らかく接触させる。
これを「結び」と言って、この時に相手の身体の芯と繋げてしまうことが最上だが、これは稽古を積まなければなかなかに難しい。
最初のうちはまず受け止めて、そのまま相手との間合いを空けるようにやや外側に身体を開いてみる。
接触している部分は動かさずに、身体全体で捌くことが重要だ。
これが上手くいけば相手の重心がやや前にかかり、攻撃の力は半減する。
簡易的に「結び」が出来た状態だ。

次に相手の肘に手刀を当て、両手を柔らかく身体と一体化させたまま前に出る。
決して押し返すような力の使い方をせず、相手の身体と地面の隙間に自分を滑り込ませるような意識で前進する。
下半身を柔らかく使い、相手の身体を自分の中心に乗せたような感覚がとれれば、相手は無力化しているはずだ。

以上が「潜り込む」操作の要諦だが、これを流動的な状況の中で出来るかどうかは、相手との境界をいかに曖昧にするかという点にかかっていると感じる。

敵と自分を「分かつ」のではなく、身体的にも心理的にも同一化していくことで勝機を得る。
これこそが日本古武術である大東流合氣柔術に保存されている稀有な思考法ではないだろうか。
稽古日誌 令和5年10月12日 15日 19日 大東流合気柔術扶桑会 
大東流合気柔術扶桑会の稽古日誌です。
今回は10月中旬の稽古について記していきます。
まずは10月12日(木)、世田谷総合運動公園 体育館での稽古から。

この日は、いわゆる「掴み手」の口伝をいくつか取り上げて修練しました。
手の甲や掌に対して、自分の手刀をどう触れさせるか。
激しい動きの中でも、正しい位置に、正しいかたちで合わせることが必要になります。

いうまでもなくその効力は、手先の動きをなぞるだけでは発揮されません。
姿勢、脱力。全身の連動…。
そうした基本的な操作が可能になって初めて、古武術大東流としての口伝が生きてきます。

扶桑会のYouTubeチャンネルでは「メンバー限定動画」の配信を始めました。
一般公開の動画ではカットしている口伝や、道場の外では見せられないコツなどを取り上げています。
扶桑会の会員として稽古に参加してみたいけれども、
仕事や家庭の事情、あるいは首都圏外に在住で東京世田谷の道場には来られない方のために始めた取り組みです。
興味のある方は
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続いて10月15日(日)の稽古。
この日は背後からの攻撃への対処から始めました。

見えない相手を感じ取り、届いた攻撃に対しては即時に応じる気構えが重要です。
大東流合気柔術の「後捕」という技術系では、稽古の中でそうした思考法を養成していきます。
一方で現実の世界においては、不意の攻撃は防ぎえないものなのか否か、不断に検証し、その備えを怠らないことも同時に必要でしょう。

中東に紛争が発生し、痛ましい被害の報道が本邦にも次々ともたらされています。
民族、宗教、歴史と様々な違いから互いを憎しみ合い、暴力で応酬していく姿は、人間の悲劇的な一側面です。
私たち日本民族が再びその泥沼に足をとられることがないとは断言できません。

神道では「人は天の下の神物(みたまもの)なり」ととらえます。
「みたまもの」即ち「神の分霊(わけみたま)」です。
私たちは皆、唯一にして全てである大いなる存在、神の「分身」であると、古来から日本人は考えてきました。
別々のように見える私たち一人ひとりは、元をたどれば「神」にたどりつきます。
真実は皆、たった一つにつながっているはずなのです。

人類の苦境を、日本人が古来から抱いていた素朴な真理によって救うことができないかと夢想します。
古武術の思考法が、その有効な一つの実証として世界の人々に届くことを望みます。

最後は10月19日(木)。
この日も後ろからの攻撃をどうさばくか、からスタート。

自ら身を固くして縮こまってしまうと、その場を切り抜けることは儘なりません。
相手からの強度の高い攻撃を受けた時こそ、のびやかに自然体を維持することが必要です。

また、見えない相手に対して気迫で負けない気構えも大切です。
接触点を通じて旺盛なエネルギーを放射し、状況の不利を跳ね返していきます。

技術的な試行錯誤とともに、精神面での向上を目指し、扶桑会は日々稽古に臨んでいます。

其の四百五十六 脱力/一体化 大東流合氣柔術扶桑会 
一本の腕をがっちりと両手で掴まれて固定される。
相手は力の強い若者で、こちらとの体力の差は明らかだ。
こういう時、古武術大東流ならばどういう打開法をとるか、ということを解説してみよう。

前提条件として、彼我の力量の違いによって、力ずくで切り抜けることはできない。
片腕を両手でつかまれるのだから、当然こちらは不利なのだ。
だが、それだからこそ活かせる理合もまた、存在する。
相手は力いっぱい両手で腕の一点を押さえている。
動かさないように頑張っているのだから、その一点に意識は固定されている。
大東流合気柔術は、その「固定された意思」を利用してひっくり返すのだ。
そのためには、こちら側が掴まれている一点を「そのままの位置に固定し続ける」ことが不可欠になってくる。

攻撃を受けている箇所を決して「動かさず」、その部分以外の体を使うというのが、今回の操作の肝となる。
空間座標軸上の一点を想定して、相手との接点をその座標に留めるようなイメージを持つとわかりやすいだろう。
その一点を中心にして相手との隙間に自分の体を潜り込ませ、入れ替えてしまうのだ。
このことによって相手の「固定された意思」はあっけなく方向を変えられ、ほとんど力を使うことなく崩れていく。

最悪なのは、こちらが掴まれた部分に固執して、肩から先、腕の力を使って遮二無二動かそうとすることだ。
この「力での対応」では状況を打開することはできない。
自分の不利は、そのまま。むしろ力を浪費することで消耗し、追い詰められていく。

世の中のありとあらゆる争いやトラブルを客観的に眺めるとき、いかにこの「力での対応」が災禍を広げているかということに暗澹たる思いになる。
自己顕示や強欲に基づく物理的・心理的暴力は、単に低級な「固定された意思」である。
そこに力で抵抗するのではなくひっくり返していく、古武術の叡智を今こそ人類は取り戻さなければ、未来はない。
稽古日誌 令和5年10月1日テレビ取材 4日 8日 大東流合氣柔術 扶桑会 
大東流合気柔術扶桑会の稽古日誌、今回は10月上旬の稽古内容を記録していきます。
まずは10月1日(日)。
この日は、扶桑教太祠の本殿にテレビクルーが入り、扶桑会が取材を受けました。

海外に日本文化を発信するテレビ番組「J‐arena」の収録です。

いつも通り、和気藹々とした中でも真摯に古武術に取り組む扶桑会の会員の姿が映像に収められました!

スタッフも含めて勢揃いの記念撮影です。

番組では元フジテレビアナウンサーの木佐彩子さんがナビゲーターとなって、日本の古流体術である大東流合気柔術を紹介します。

扶桑会が目指す、「自然と一体になる古武術」について、話をさせていただきました。

会員たちもそれぞれカメラの前に立って、堂々とインタビューを受けました。

いつも稽古終わりに、全員の前で一人一人が感想を話していることもあり、物怖じせずにしっかりと自説を展開します。

こうした自己表現の確かさも、毎回の古武術の修業を通じて培われていきます。

放送は10月の27日(金)、海外150ヶ国で行われます。
日本でもNHKワールド、J-Arenaのホームページからストリーミング放送で視聴できるそうです。

NHKワールド「J-arena」
是非ご覧ください!

続いては10月4日(木)、この日は通常稽古でしたが、試験的に動画の撮影をしてみました。

これまで公開稽古として、本稽古の様子をYouTubeなどで一般に公開してきましたが、今後情報発信スタイルを少しずつバージョンアップしていきたいと考えています。
詳細はこれから詰めていきますが、扶桑会の目指す古武術を、できるだけ多くの人に、しかも深く伝えていくためにはどうしたらいいか、模索しています。

「人に伝える」ということは、自分の学びを深め、新しい気づきのきっかけにつながっていく行動でもあります。

様々な方法と機会を捉えて、これからも古武術大東流の継承発展に取り組んでいくつもりです。

最後は10月8日(日)の稽古。
この日は相手の攻撃を受ける、初動の丁寧さを意識して修練しました。

「この日は」と言いましたが、これは常に大切な心得として取り組んでいるところです。
相手の攻撃にぶつからず、「つながる」。

相手とせめぎ合っているところが、技の成否を握ります。
そこで相手を受け入れるか、跳ね返すか。
身体操作と同じくらい、「心の持ち様」が接点での攻防を大きく左右します。

これが、私たち扶桑会が重視する「結び」の考え方です。
じっくり丁寧に、修練を重ねていきます。

其の四百五十五 粘着する 大東流合氣柔術扶桑会 
今回取り上げるのは、人を倒したり制圧したりするわけではないが、いかにも大東流合氣柔術らしい考え方をつかった動きだ。
接点を柔らかくすることで相手にねばりつくように密着し、動きを止めてしまうのであるが、一見しただけではなぜそのようなことになるのかがわからない人も多いだろう。

映像で注意深く確認すれば気付かれると思うが、捕り手(技をかける側)は相手の身体に出来るだけ触れないように手刀を使っている。
「最小接点で攻める」という大東流の口伝が活かされる動きでもあるのだ。
もちろん脱力を使って相手の身体とぶつからないように操作していくというのが、その根幹にある考えだが、この操作を行うのにとりわけ必要になってくるのが、「相手の力の向きを感じる」ことだ。
この考え方で相手が打ち込んできた力に逆らわないように、自分の軸の上に引き込んでしまう。
肘と小手を柔らかく搦めとられた相手は、あたかも自分から罠の中に入ったような状態になって、自縄自縛に落ちるのだ。

これは言葉で説明しきれるところではないのだが、やはり相手の力の向きを感じ取るというのは、接触したその瞬間に自分の身体全体を使って相手と一体になることによって可能になると私自身は感じている。
すなわち、自分の身体を分割することなく、全体性を保ったまま対象と接するという気構えが重要なのだ。

考えてみれば、大東流が古武術と言われるようになった現代以降、我々日本人はすべてのものを「分ける」ことを金科玉条のように信奉して精神活動を行っている。
西洋科学至上主義は、今や日本人の骨の髄までしみ込んでしまっているかのようだ。
科学は森羅万象を「分類」し、それぞれを「分析」し、整然と区別する。

科学が人類にもたらした恩恵には計り知れないものがあるが、この辺りで一旦立ち止まり、いにしえの日本人の心性に深く根差していた「一体性」の哲学の深みを吟味してみることも必要なのではないだろうか。
稽古日誌 令和5年9月21日 24日 28日 大東流合氣柔術扶桑会 
大東流合氣柔術 扶桑会の稽古日誌です。
今回は9月下旬の稽古内容について記していきます。
まずは9月21日(木)から。この日は世田谷区の総合運動公園体育館での修練となりました。

常設の稽古場である世田谷区松原の神道扶桑教太祠ですが、毎年春と秋のお彼岸に報元大祭(ほうげんたいさい)が催行される関係で、私たちが稽古に使うことは出来ません。
そこで公共の施設などを探すのですが、感染症の騒ぎが収まってから、どの施設もなかなか盛況のようです。

日本人の余暇活動が盛んになってきたことは喜ばしいことです。
またそうした施設に行くたびに子供たちのマスクをつけない明るい顔が見られるようになってきたのも、本当に良かったと感じられます。

稽古の方は「部分にとらわれず、全体を意識する」をテーマに。
少人数ですが熱のこもった修練になりました。
過ごしやすい秋に向けて、健康増進と一層の技術向上を目指していきます。

続いては9月24日(日)。
ラグビーのワールドカップがフランスで開催されているから、という理由でもないのですが、この日は相手に腰を押されるのを、体勢を低くして止める動きで始めました。

ただ単に腰の位置を低くするだけではなく、膝と踝を緩めて接触したその瞬間に相手の重心を乗せてしまいます。
この鍛錬、慣れないうちはかなりツラいです。
どうしても脚の筋肉で押し返そうという意識が働いてしまうんですね。

私も学生時代ラグビーを長くやっていたこともあり、この押し合いへし合いには心がたぎるものがあるのですが、やはり物理的な筋力で対抗するのは、古武術的な思考法からはおすすめ出来ません。

全身を柔らかくして一つの塊であると認識する。
そのうえで相手の力を受け入れるようにして、地面にその力を通す意識を持ってください。
ラグビー日本代表のスクラムは、前々回のワールドカップ辺りから飛躍的に技術が向上して、強豪国相手にも見劣りしない力強さを備えるようになりました。
私たち古武術の理合と全く一緒ではないのでしょうが、私が感じるところ、ただ筋力で対抗するのではない「柔らかい一体化」がその強さの核心にあるように思えるのです。

そして9月28日(木)の稽古。
この日は熱心に稽古してきた会員さんが遠方に転居するために、一緒に稽古できる最後の日となりました。

転居されても扶桑会の会員として、何かの折に上京されたときには道場に来られるということではありますが、長く稽古を共にしてきたものとして、やはり一抹の寂しさがよぎります。

人生には常に確かなものはなく、行き交う時間の流れは去る人と来る人を不意に選んでは私たちに差し出してきます。
一期一会という言葉を胸に抱いて日々生きること。
その覚悟がなくては、今という時を十全に味わい尽くせません。
ああしておけば良かった、こうも出来たはずなのにということを、「今」思っても詮無いことなのです。

武術においてもまた然り。
相手とまみえるこの瞬間は決して再び同じ形で訪れることはありません。
同じ攻撃は二度となく、その一回の攻撃に自分の生命と全存在をかける。
武術者として、そんな気持ちをもって修行に向き合いたいものです。

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