扶桑会について
指導者: 石塚嘉 【達人・名人・秘伝の師範たち】
稽古日時:日曜14時半~16時半 / 木曜19時~21時
稽古場所:神道扶桑教 世田谷太祠 東京都世田谷区松原1丁目7−20 【道場紹介】
入会希望者が参加可能な公開稽古は 10月22日(日)14時30分から16時30分まで開催します。
場所は 明大前 扶桑会館(神道扶桑教太祠 本殿) です。
扶桑会への入会を希望される方は 左のメールフォームよりお問い合わせください。
【関連商品】
扶桑会DVD「柔(やわら)の力の完成」←Amazonへリンク
【Twitter】https://twitter.com/aiki_fusoukai
【Instagram】https://www.instagram.com/aiki_kobujutsu/
【Facebook】https://fb.com/kobujutsu
稽古日時:日曜14時半~16時半 / 木曜19時~21時
稽古場所:神道扶桑教 世田谷太祠 東京都世田谷区松原1丁目7−20 【道場紹介】
入会希望者が参加可能な公開稽古は 10月22日(日)14時30分から16時30分まで開催します。
場所は 明大前 扶桑会館(神道扶桑教太祠 本殿) です。
扶桑会への入会を希望される方は 左のメールフォームよりお問い合わせください。
【関連商品】

【Twitter】https://twitter.com/aiki_fusoukai
【Instagram】https://www.instagram.com/aiki_kobujutsu/
【Facebook】https://fb.com/kobujutsu
其の四百四十七 柔らかく使う 大東流合気柔術扶桑会 
害意ある相手に対して力で立ち向かうから、相手もまたそれ以上の力で向かってくる。
するとまたこちらもさらに大きな力で対応し…と終わりのない軍備拡張競争の寓話にでも出てきそうな話ではあるが、これは我々の身近なところでも、常に起こりうるジレンマだ。
大東流合気柔術は、力に対して違う角度から対処することを教えてくれる技術の体系を持っている。

今回の動きは、古武術大東流の考え方を使って、ちょっとした身体上の実験を試みたものである。
「遊び」と言ってもいいだろう。
対人護身に使えるというような類の物では全くないので、ご了承いただきたい。
実験と言っても、やることは簡単で「いかに掴まれたところの力を抜くか」ということ。
あたかも自分の手首とその周辺が、良くしなる「鞭(ムチ)」にでもなったイメージで相手の手首に巻き付けていくのだ。

少しでも自分の身体に硬くぶつかるところがあると、相手もまた身体を固めてしまって動かない。
手首をつかんだ相手が拍子抜けしてしまうほどに、力を抜くことが出来るかが問われる操作だ。
この脱力を完全に行うと、相手の抵抗はほぼなくなる。
そして自分の思うとおりに動かしていくことさえできるのだ。

ただ、一点断っておかないといけないのが「完全なる脱力」というものが、まったく物体として重力の支配下にあるものかというと、それとも言いきれないところがある。
この完全脱力した手刀(肩から先、手の指先まで)の芯には、操作する人の「意志」が通っていなければならない。
あるいはエネルギーと言い換えてもいいだろうか。
これを先達たちは「氣」というような言葉で呼びならわしたのかもしれない、と今の私は考えている。

「芯を作って脱力する」。
音では簡単に言える短い言葉だが、これを実際に運用できる身体になることが私たちの修行の目的なのだ。
稽古日誌 令和5年7月30日 8月3日 6日 大東流合気柔術 扶桑会 
日々の修練内容を記録する大東流合気柔術 扶桑会の稽古日誌。
まずは7月30日(日)、世田谷区松原にある扶桑教太祠本殿で稽古を行いました。
私たちはこちらを常設の稽古場として使わせていただいています。

この日、稽古前の雑談と稽古後の感想で出てきたのが「幸せ」に関する考察でした。
米ハーバード大の84年にわたる「幸福感の追跡調査」によると、人間が自己を幸せであると認識する要件は、収入や職業、学歴などの定量的なものではなく、「充実した人間関係」であったといいます。

我々は古武術を志す者の集まりですが、修行を通してたどり着くべきは究極のところそれぞれの「幸せ」であるはずです。
私は個人として、技量や立場をもって人と競い、争い打ち破ることを目的とする武術のなかに、人生の充実が見出せるとは考えません。

稽古中、生き生きとした表情の会員さんたちの姿を見ながら、
「充実した人間関係を得る」ために大事なものを、この修練のなかで生み出していきたいと改めて感じさせてもらいました。

続いて8月3日(木)。

この日は基本の形から、脱力、正しい姿勢、全身を使って力を伝えていくという、こちらもごく基本的な考え方を意識して修練を行いました。

腕の筋力だけを使っていては、自分より体格に優る相手を動かすことは出来ません。

武術的に細かい急所の攻め方や、位置取りなどの定理はありますが、やはりそれらを統合するのは先に述べた基本的な思考法です。

最後は8月6日(日)の稽古。

この日は「腕を伸ばす」という動きに焦点を当てました。
ともすれば相手を「押し返す」ような操作をしてしまいがちですが、

むしろ相手の身体への接触は少ない方が力が伝わるという、不可思議な理合です。
自分の身体を脱力して伸ばすことで、相手の身体も同じように伸びていきます。

「腕を伸ばす」という言葉に囚われがちですが、実は身体全体を伸ばさなければいけません。
こうした概念の習得も、古武術大東流の稽古の中から掴んでいってほしいところです。

其の四百四十六 持たせる 大東流合氣柔術扶桑会 
相手につかまれた手を、そのまま離させずにこちらの思うところに動かしてしまう。
今回はそんな大東流合気柔術に特徴的な操作を紹介する。

術がうまくかかればかかるほど、これを見た人の不審の念は深まるかもしれない。
技の受け手側が忖度して手を離さずにいるのだと思い、インチキだと片付けてしまう人もいるだろう。
しかしこれまでに何度も解説してきているように、攻撃の意思を持って掴みかかった人間の手というのものは、そう容易なことで開くものではない。
それはちょうどカバンを持っている人が、突然誰かにそのカバンを奪われそうになったとき、思わず反射的に力を入れて把手を握ってしまうのと同じ心理的な働きがあるからだ。
もちろん、この譬えは一瞬の間に限り有効なものであって、技をかけるほうは相手の心理的規制が有効な間に取り押さえてしまわなければならない。

この時に捕り手側(技をかける方)が、精妙な感覚で攻めなければならない急所がある。
それが相手の掌底、さらに言えば拇指丘と小指球のちょうど間にある窪みの部分なのだ。
動画の中では「掌の谷間」と表現しているが、正確には上の表現がイメージしやすいだろう。

術者はここを攻めなければならないのだが、その攻め手にも微妙な感覚が要求される。
まず、腕の筋肉を使って突き上げるようにしたのでは、相手の心理的規制は起きにくい。
刀を使うように、手刀の小指側(刃)の方を意識して斬り上げるように操作する。
つまり「摺り上げ」の動きなのだが、これは全身を連動させて行うことが前提となる。

急所を攻めて相手の体が吊り上がったら、接点の感覚を変えないようにして素早く相手の腕の下をくぐり、後ろに回る。
慌ててしまうと、小手先の力になってしまいがちなので注意すること。
最後の極めの形は「脇詰め」となるが、この詳しい技法についてはいずれ項を改めて解説する。
稽古日誌 令和5年7月20日 23日本稽古 27日 大東流合気柔術 扶桑会 
大東流合気柔術 扶桑会の稽古日誌。今回は7月下旬の修練内容を記録していきます。
まずは7月20日(木)の稽古から。

相手が力いっぱい掴んだり、絞めてきた時にまず大事なのは「力で対処しない」ということです。
攻撃の意思に対して抵抗するような動きを見せると、必ず力のぶつかり合いになって膠着します。力が互角であれば、攻撃を受けた方が必ず不利になります。

窮地に陥っても、慌てず心静かに正しい姿勢で、形稽古で培った動きで打開すること。

特に首を絞められる「衣紋締め」のような攻撃を受けたときには、いかに落ち着いて自然体を崩さないようにできるかが問われます。
これからも習熟度に合わせて負荷を調整しながら取り組んでいくつもりです。

7月23日(日)は、7月の本稽古でした。
「接点を柔らかく使う」をテーマに、多種多様な動きで大東流の核心技法に取り組みました。

片手取り、両手取り、諸手取り、両肘取り・・・。
どのような設定で攻撃を受けても、初動で相手と「つながる」ことができてしまえば、そのあとの展開は容易になります。

相手の攻撃に対して反発するのではなく、その意図に「沿い」、いったん受け入れたうえで、自分を活かせる道を切り拓いていく。

身体操作もさることながら、こうした意識の変革こそ、この武術の神髄に近づきうる極意です。

競争原理一色のこの日本社会にあっては難しい価値観かもしれませんが、現代において古武術大東流を修練する意義はこの辺りにあると考えています。

最後は7月27日(木)の稽古。
前半は中段突きを内外に捌いて相手を崩していく動きに取り組みました。

攻撃に勢いのある相手に対して、常に真っ向正面から立ち向かうのではなく、適切な距離感をとって「間合い」を空けることも必要です。

仮に体格や筋力の差があったとしても、この「間合い」によって無理なく相手より優位に立つことができます。

一方で、接近してきた相手に対して、さらに密着することで自分の重心に「乗せて」しまうという考え方も有効です。
真逆の考え方ですが、ぶつからずに対処するという基本的な概念は共通しています。
これからも様々なバリエーションで、古武術大東流の奥義に近づいていくつもりです。

其の四百四十五 並んで攻める 大東流合氣柔術扶桑会 
「剣を使うように」相手の身体を操作する、大東流合氣柔術ならではの技法解説、今回は「相手の隣に並ぶ」思考法を解説する。

これも「摺り上げ」の動きがその根幹となる考え方だ。
「摺り上げ」についてはここ何回か継続して取り上げているので、そちらも併せて参照してほしいが、手刀の刃(小指側)を意識しながら、自分の身体の中心で操作することが基本となる。
両手をつかんできた相手の手首を、手刀を立てるようにして相手の肩を詰める。
この初動で相手の体幹部分とつながるところが最初の難関であるが、これはいわゆる「合気上げ」の技法によって可能になる。
(この部分は「其の四百四十 刃に乗せる」で詳しく解説している)
さらにここから、この相手とのつながりを失わないように攻めを展開していくのだ。

両手刀を摺り上げるようにして立て、相手の肩を詰めたら、そのまま自分の中心で手刀を構え続けたまま、相手の側面に入り身する。
出来るだけ全身を脱力して、ただ「隣に並ぶ」ような気持ちで入っていくのがコツだ。
この時身体を転換する外側の手で、相手の手首を軽く握っても良い。
力を込めて握ってはいけない。あくまで小指をひっかける程度の入力にとどめること。

上手く隣に並ぶことが出来たら、相手にはこちらの全身の力がダイレクトに伝わる。
たまらず爪先立ちになって、その大きな力から逃れようとする相手の肘を肩に担ぐようにすれば、まったく身動きさせることなく制することが出来るのだ。

動画の中でも指摘しているが、この時に相手の腕を一本の刀と認識し、その切先を相手の肩に突きつけ続けること。
その攻めの意識が途切れたとたんに、相手への力の伝達はなくなってしまう。
これもまた、古武術大東流の「剣の理合」を如実に示す技術である。
稽古日誌 令和5年7月16日~18日 冨士登拝修行 
大東流合気柔術扶桑会の稽古日誌。
今回は扶桑会の稽古の一環として参加した、「冨士登拝修行」について記していきます。

普段稽古場として使わせていただいている、扶桑教世田谷太祠 本殿に安置されている御神体「御神實(みかむざね)」を奉じて、富士山八合目の天拝宮まで供奉登拝するのが修行の目的です。
下の写真奥に祀られているのが「御神實」。
扶桑会からは私(代表)を含めて3人が同行します。

16日に現地入りし、各種祭祀を行った後、17日からいよいよ登拝が始まります。

まずは北口浅間神社に参拝。

五合目 小御嶽神社から登山開始です。

古武術をたしなむ私たちだけではなく、小学校低学年の子どもや御高齢の方も一緒に修行します。
そのためペースはかなりゆっくりです。
ひとりも脱落させることなく、皆が目的地にたどり着くことも、この修行の大きな目的なのです。

雲を眼下に眺めながら一歩ずつ着実に進みます。
天気も良く、陽射しが強かったのですが、暑さを感じるころになると山の斜面を駆け上るように冷たい空気が吹き付けてくれました。
まるで修行を後押しするかのような自然の恵みです。

夕刻、18時過ぎに八合目天拝宮に到着。
「御神實(みかむざね)」をお祀りして、翌朝まで短い仮眠を取ります。

翌未明、2時30分ごろに頂上を目指して山小屋を出発。
霧もなく、遠くまで見渡せる良い天気です。

4時30分、9合目に差し掛かる辺りでご来光をお迎えしました。

地元のガイドさんによると、まれにみる美しいお姿だったとのことです。
思わず合掌。
神々しい日輪に向かい、扶桑会会員の武芸上達と健康息災を祈念しました。

6時過ぎ、ようやく富士山頂に到着。
無事、日本最高峰の地に立てたことに感謝です。

稽古では地球環境と合致して動く「自然体」を重要視した修練を心がけている扶桑会ですが、こうした剝き出しの厳しい自然環境に身を置きながら終始歩み続けることで、「自然体」であることの難しさと、その有用性を同時に感じることができました。
人は本来、宇宙とともに生きている存在なのです。

浅間大社奥宮にも参拝。
御祭神の木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)にも御挨拶してまいりました。

扶桑会では今後も、富士登拝修行を続けていくつもりです。
参加できる人数に限りはありますが、古武術と古来からの山岳信仰の両面から、日常を離れた得難い経験が出来ます。
関心のある方は、お問い合わせください。
其の四百四十四 縦に重ねる 大東流合氣柔術扶桑会 
今回もまた、腕を刀に見立てて操作することで相手の身体の自由を奪う技法について解説していく。
ポイントは「立てる」操作だ。

初動は「掛け手」。
手首をつかませるかの如く差し出し、相手が手を出してきた瞬間に摺り抜けるようにして反対につかみ返す。
大東流合気柔術では、自ら姿勢を崩して攻撃を仕掛けていく技の体系は少ないが、「掛け手」のように、こちらから相手に攻撃させるよう仕向けることで、相手の崩れを誘うことは頻繁に行う。
この動きも、相手の重心を前にかけさせることが目的であって、その状態でこそ技が有効になる。
前に踏み込んだ相手の手首をつかみ、それを「刀の柄」と仮想して、剣先を「立てる」ように操作する。
この操作によって、相手の肩が詰まり、身体を浮かすことが出来るかどうかで成否が決定する。

刀の柄を握って剣先を「立てる」わけであるが、この時に必要とする握力や手首の力は極めて小さくて良い。
実際に木刀か模擬刀を使ってその操作をしてみると良く分かると思うが、腕に力を込めて剣を立てることはないはずだ。
ただ、人の手首をつかむとなると、どうしても力が入ってしまう。
ここで意識を変えられるかどうか、そこが稽古だといえる。

ただ刀(剣)を立てるがごとく、小指を締め、全身の力を使って相手の身体を浮かすことが出来たら、次は手中にある二本の腕を交叉させる。
この時に、重ねる下側の腕の峰(親指~橈骨)に、上側の腕の刃(小指~尺骨)を垂直に合わせる。
まさに刃筋を立てるように。
前回同様、不思議に思われるかもしれないが、人はこの操作で自縄自縛に陥り、つま先立ちのまま身動きが出来なくなってしまう。

こうした技法は表面上の動きの面白さや不思議さにとらわれがちだが、初動で相手を前のめりにさせきれるか、次に手首を鋭く「立てる」ことで制することが出来るか、そうした「初動の正確さ」が成否のほぼ9割を占める。
枝葉にこだわらず、根本部分に備える稽古を心がけてほしい。
稽古日誌 令和5年7月6日 9日 13日 大東流合気柔術扶桑会 
大東流合気柔術扶桑会の稽古日誌です。
今回は7月上旬から中旬にかけての活動内容について記していきます。
まず最初は7月6日(木)、扶桑教世田谷太祠での稽古。

つかまれたところ、打ち込まれたとき、接点に力を籠めずに操作していく修練から始めました。

技の難易度が上がり、複雑になるにつれて全身の脱力が要求される度合いが高くなっていきます。
相手との接点は、ほとんど手刀の一部分で触れているだけ、もしくは挟み込んでいるだけ。柔らかい動きが出来るほど、技の切れが生まれます。

それぞれ現時点の習熟度に合わせて、そうした感覚をつかんでいってほしいと思います。

続いては7月9日(日)の稽古。
この日も接点に手刀を搦め、筋力に頼らず全身の連動で力を伝える修練から始めました。

肝心なのは、ぶつかり合い、せめぎ合っている部分にこだわらないこと。
身体操作というよりもむしろ、認識の刷新に難しさを感じているように見て取れます。

後半戦は後捕。
見えないところから攻撃を受けた時、どのように初動を取るかが問われます。
単純な動きのセオリーを学ぶだけではなく、対峙する心構えの鍛錬です。

受ける側ともコミュニケーションをとりながら、ただ形をなぞるだけに堕さない密度の濃い稽古を目指していきます。

最後は7月13日(木)。
自分の重心を相手の身体に乗せる操作法から。

小手先の動きで押し込んでしまいがちですが、ここは全身を一体化して「乗り」ます。
言葉で聞く分には何となく理解できますが、実際にやってみるとなかなかの難易度です。

これを行うためには、現代人が生まれてこの方、長らく支配されてきた「筋力による身体操作の呪縛」から脱する必要があります。

それは言ってみれば、自他の境界を取り払い、相手と思念を同調させることによって実現する身体操作なのかもしれません。
古武術の修練を通じて、そうした境地に通じることを目指していきたいと考えています。

其の四百四十三 刃筋を立てる 大東流合気柔術扶桑会 
相手の腕を使って身体に刺激を与えて、自由に動けないようにする技術を紹介する。
今回の動きは大東流合氣柔術に特徴的な「搦める」技法を援用したものだ。
初伝では「搦投」の形として知られている。

相手の両腕をある一点で交叉させ、バランスを取って体幹部分に力を伝える。
決して強く押し付けてはならず、二つの腕のバランスをとることで相手の踵が浮き、爪先立ちにさせてしまう。
術がかかった相手は一見すると奇妙な状態で静止していて、見る人に不可解の念を催させると思うのだが、これは決して理屈を外れた魔法をかけているわけではない。
ただ、その腕の操作の仕方に秘訣がある。
これまで続けてみてきたように、人体の一部である腕を「刀(剣)」に見立てて操作することで、鋭く効果の大きい入力が可能となる。
この操作では小指から尺骨を通る線、すなわち「刃」の部分を使うのだ。

上から掴んだ相手の腕を、下側の腕に押し当てる際、小指側を垂直に当てるようにして押し付けていく。
いわゆる「刃筋を立てた」状態で刺激を与えることで、相手の身体には詰まりが発生して、そこから逃がれようとする生理的規制によって自縄自縛に陥ってしまう。

そしてこの時に重要なのが、操作する腕をがっちりと握り込まないこと。
さらに痛めつけようとして強引に押し込まないことだ。

画面を見てもらえれば分かると思うが、接点は極力掴まず、挟むか、ただ触れているようにして操作している。
むしろ両腕を動かす量をバランスさせることで制するのだと心得ると良いだろう。
「搦め」技法の精妙な仕組みを体感して、古武術の奥深さに触れていただきたい。
稽古日誌 令和5年6月25日本稽古 29日 7月2日 大東流合氣柔術扶桑会 
大東流合気柔術 扶桑会の稽古日誌。
今回は6月終盤から7月の初旬にかけての稽古内容を記録します。
まずは6月25日(日)、この日は6月の本稽古でした。
本稽古では新規入会者向けに一般公開すると同時に、いつもより平易に、かつ系統立てて大東流の基本概念を修練します。

今月のテーマは「力を出す」。
単純なようですが
肩から先、腕の力に頼らない動きに直結する重要な要素です。
どの動きにも、柔らかく脱力することが求められます。

この日はまた、稽古の中で一級審査も行いました。
初伝一ヶ条を31本すべて演武。
しっかりと修練を積み、準備も整っており、凛とした美しい演武となりました。

扶桑会に最近加入した人のためにも有意義な審査となったと感じます。
次の初段認定に向けて、さらに奥深く探求してもらいたいと思っています。

稽古はさらに二カ条の動きにも進みました。
丹田から力を出すことで複雑な動きであっても一本の線が通るように完結していきます。

決して相手を壊そうとするのが目的ではなく、自分の力を正しく適切に発揮することが技の目的であることを、実感できた稽古でした。

続いて6月29日(木)の稽古。
手刀の「刃」を使うことを様々な動きの中で確認しました。

この日、基本の形として二カ条「小手詰」に取り組みましたが、なぜか上手くいかなくてイライラする会員の姿も。

稽古の中で不調を感じて、フラストレーションがたまることは良くあります。
今までできていた動きがまったく通じなくなったり、受ける相手が変わったことで効果が出なかったり。
その時にどう自分の意識を切り替えることが出来るか、ということが実は肝心です。

難関に出会ったときは、それを自分の成長を促す良い機会と捉え、喜んで解決に向けて取り組むこと。
まさに「難しいことが有る=有難い(ありがたい)」なのです。

最後は7月2日(日)の稽古。

扶桑会の稽古では、前半に基本動作を全体で行い、後半は習熟度別に組に分かれてそれぞれの課題に取り組むというスタイルが多いのですが、最近では取り組む技も多彩になってきました。

初心者の技から後捕、半座半立、二カ条、総伝技…
もちろん初心者にとって無理は禁物ですが、同じ相手とばかり組むのではなく、一つの動きをいろんな人と試してみることで気づきが生まれることもあります。

稽古の仕方にも多様性を持たせながら、古武術大東流の探求を続けていきます。
